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2023.12.30「エスペラント語」

うるうアドベントカレンダー3日目。
今日は12月30日。
4年前の今日は、『うるう』東京公演3日目です。

大きくなったといってもね、グランダールボ。
あなたのように、何十メートルにもなる、ということではないのですよ。

彼は大きな木に向かってこう語りかけます。
その名前は、この物語の輪郭を形作るかのように不思議な響きをしています。


grandarboとarbusto

ヨイチ、マジル、グランダールボ、アルブースト。『うるう』には、不思議な響きの名前が登場します。
グランダールボとアルブースト。彼の父親代わりである木々に付けられたその名前は、どちらもエスペラント語に由来します。

grandarbo:granda(大きい、偉大な)+arbo(木、樹木)
エスペラント語は形容詞の語尾はa、名詞の語尾はoになります。この場合は、grandaという形容詞を名詞arboに組み合わせることで、「大きな木」という意味のグランダールボになります。

arbusto:小低木、小灌木
アルブーストはそれ自体で一つの単語が存在します。こちらもarboから派生した単語の一つと言えます。


エスペラント語の起こり

エスペラント語は特定の国で使用されている言語ではありません。人間の手によって生み出された、いわゆる国際語、人工言語のひとつです。
エスペラント語は1887年、ポーランドのラザーロ・ルドヴィゴ・ザメンホフによって考案されました。
(ちなみにザメンホフの生年は1859年、ヨイチの生まれる1年前です。)

Lazaro Ludoviko Zamenhof(1859.12.15 - 1917.4.14)

「エスペラント」とは、エスペラント語で「希望する者」という意味です。ザメンホフは当時「ドクトーロ・エスペラント(エスペラント博士)」というペンネームでエスペラント語を発表しています。

19世紀末以降、国際的なコミュニケーションの必要性から、国際的に共通して使用できる国際語が多く提案されました。
ユダヤ人としてロシア領ポーランドに育ったザメンホフは、多言語・他宗教の環境のなかで、世界の人々に共通する国際語を平和のための手段の一つとして考案しました。

エスペラント語には不規則な原理が存在せず、わかりやすい構造を持つ言語として作られています。国際語として発案された言語は多く存在しますが、エスペンラント語はその中でも最も生き残っている言語と言えます。

エスペラント語とヨイチ

「グランダールボ」も「アルブースト」も、命名したのはヨイチです。彼はいつからエスペラント語を学んでいたのでしょうか。
ザメンホフによる発明以降、エスペラント語は日本においても徐々に広がりを見せます。
海外からやって来た宣教師や英語教師によって紹介され、日本国内でもエスペラント語に触れる人々が増え始めます。そうした人々によって、1906年には日本で最初のエスペラント語教科書『世界語読本』が二葉亭四迷の翻訳により出版され、同年には日本エスペラント協会が設立されました。
当時、朝日新聞の天声人語にも「本年の流行は、エスペラントと浪花節」と書かれたといいます。

1906年に翻訳出版されたザメンホフ著『世界語読本』
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

当時多くの文化人によってエスペラント語が学ばれたといいます。『世界語読本』を翻訳した二葉亭四迷もその一人です。
例えばのちに広辞苑の編集者となる新村出は、1908年にドレスデンで開催された第4回エスペラント大会に日本政府代表として出席しています。また1922年にはエスペラント語を作業用語として取り入れようという国際連盟の動きがあり、当時国際連盟の代表であった新渡戸稲造はこれに賛同しています。

大正デモクラシーの風潮とともにエスペラント語への関心は高まります。日本エスペラント学会の会員数は720名だった1921年から、2年後の1923年には2440名と全国的に広がり、各地で講習会が開かれました。
エスペラント語は日本国内の学生の間でも広がり、各地の学校でエスペラント会が設立されたと言います。また1925年にはエスペラント語のラジオ講座も始まっています。

1920年代前後、ヨイチは15歳。ちょうど呉村先生との日々を過ごし始めた頃です。
海外の植物であるクレソンを研究していた呉村先生にとっても、エスペラント語は大きな関心ごとの一つだったでしょうし、当時の学生たちと同年代だったヨイチにとっても、興味を惹かれる対象であったことでしょう。ひょっとすると、ヨイチは呉村先生からエスペラント語を教えてもらったのかもしれません。

しかし何よりも、エスペラント語という言葉の「どの国のものでもない言語」という点が、ヨイチにとっては重要だったのかもしれません。
どの社会にも属することができない、常にあまりの1であるという感覚を抱いていたヨイチにとって、どこにも属すことのない、けれど全ての人々とつながることができる国際語という存在は、夢のようなものだったかもしれません。

"ulul"

最後にもうひとつ、『うるう』という作品が運命づけられているかのような言葉をここに紹介させてください。

ulul
①[ふくろうなどが]ほーほーと鳴く
②[狼などが]うなる、遠吠えする

『エスペラント日本語辞典』p.1211より引用

ここまで「うるう うるうとないている」という一節に呼応するような言葉があるでしょうか。



【参考文献】
初芝武美『日本エスペラント運動史』日本エスペラント学会、1998年
日本エスペラント学会エスペラント日本語辞典編集委員会・編『エスペラント日本語辞典』日本エスペラント学会、2006年
田中克彦『エスペラント : 異端の言語 (岩波新書)』岩波書店、2007年


次回は1月7日更新です。


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