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2024.2.29「再会」

うるうアドベントカレンダー29日目。
今日は2024年2月29日。
4年前の今日は、小林賢太郎演劇作品『うるう』大千穐楽です。




消えた「0→1」

一番最後の場面には、初演から再々演にかけて大きな変化がありました。

ヨイチとマジルが再び出会う瞬間、初演ではマジルの後ろにタビュレーティングマシンの「0」が浮かび上がりました。
タビュレーティングマシンが動いて、「0」が「1」に変わった瞬間、舞台は暗転し、作品は幕を閉じます。
2012年にこの演出を観た私は、作品内のさまざまな仕掛けが美しく回収される感覚に衝撃を受けたことを覚えています。

このタビュレーティングマシンの数字は2016年の再演からなくなりました。正確には再演の初日まで、この演出は残っていたようです。
『うるう』という作品において、このラストシーンが強く印象に残っていたという人は多いと思います。初演を観た人たちと話していると、このラストについて必ずいつも話題に上ります。

この作品のラストで、タビュレーティングマシンは友達の数を数えなくなった。
この変化を上手く言い表すことはできませんが、私は『うるう』という作品が8年の時間と共に変化した部分の象徴のように感じています。

ヨイチとマジルがもうとっくに友達だということは、観客である私たちが一番よく知っています。ヨイチはもう、タビュレーティングマシンを動かしてかつてのように数を数えようとはしないはずです。
物語のあらゆるピースを綿密に当てはめていくことよりも、ヨイチとマジルという二人のひとが抱いている気持ち、彼らに見えている世界を表現することを、この作品は選び取ったのだと思っています。

幕が下りる

再々演で、舞台上には大きな幕が現れました。
最後の瞬間、カノンの音は大きく広がり、祝祭的な音に包まれるなかで幕が下りるようになりました。
この演出は12月28-30日の東京公演にはありませんでした。札幌で初めてこの演出を見た私は、大きな変化に戸惑い、しばらく受け入れることができずに混乱していました。
チェロの音だけが大きく響く中で暗転する、それが自分にとっての『うるう』でした。けれど再々演で追加された音にはチェロ以外にもさまざまな楽器が鳴っていて、とても華やかな雰囲気の中で幕が下りるようになっていました。

けれど何度も観るなかで、少しずつ「ああ、この作品は2020年に本当に幕を下ろしてしまうんだろうな」という感覚が芽生え始めました。
『うるうびと』という一本のコントから始まり、2012年に初演され、2016年には『うるうのもり』が生まれ、その絵本の要素も取り入れた2020年の『うるう』が生まれ、今こうして大きな幕によって物語が締めくくられている。
この幕と祝福するような最後の一音は、きっと『うるう』という作品そのものに幕を下ろすために生まれたのだろう。そう感じるようになりました。

カノンの音が消えた瞬間にタビュレーティングマシンが動き、その一瞬で暗転する。作品としてとても粋で、美しいと感じます。
初演当時、マジルは立ち上がってはいなかったと記憶しています。ヨイチがマジルを見つけると、彼が帽子を少し上げて、挨拶をするようにヨイチを見る。その瞬間にタビュレーティングマシンが動いて、暗転していました。

けれど『うるう』という作品がたどり着いた場所はそうではなかった。
マジルは立ち上がり、ヨイチと同じ目線になります。
客席からは二人の表情が見えないほどに、互いの方にしっかりと向かい合って、目を合わせた瞬間に幕が下りる。
幕が下りるようになったことで、二人が向かい合う時間は長くなりました。
その瞬間のヨイチはまだ息を切らしていて、走ってきたその勢いが体に残っているように見えました。幕が下り切った瞬間に、彼は走り出してマジルのもとに向かうのではないかというほどの強い感情が、その表情や体の動きから伝わってきました。
幕が下りた後、私たちの目の前に広がる森の奥で、再会した彼らの時間は続いていく。そう強く感じさせられました。

再々演で生まれたラストシーンを、私は『うるう』という作品が8年をかけて重ねてきた、変化の道筋の先にあるものとして受け取りました。
ヨイチとマジルが再会する瞬間を大切に描き切るために、この変化は必要だったのだろうと思っています。
『うるう』が最後にたどりついたのがこの場所であったことが、自分はとても美しいと感じます。

『うるう』がその変化ごと愛したいと思える作品になった、たくさんの人が作品に向けるさまざまな感情ごと愛したいと思える作品になったことを、なによりも幸福だと感じています。
こんな作品に出会えることは、生涯を通して二度とないだろうと思います。



思い出すということ

ヨイチは日記を開いて、『まちぼうけ』の楽譜を見つけます。
ヨイチの手元には、マジルから贈られた楽譜が残されていました。けれどマジルには、ヨイチから手渡されたものは何もなかったはずです。
40年間、彼はずっとヨイチのことを何の手がかりもないまま、それでも忘れずに生きていた。そのことを思うだけで途方もない気持ちになります。

『うるう』は、2012年から2020年にわたって3回上演されました。そしてその間、一度も映像が残されることはありませんでした。
2012年にこの作品に出会ってしまった中学生の私は、『うるう』という作品がこの世界に存在したことを繋ぎとめることに必死でした。
自分以外にこの作品を知っている友達は誰もいなくて、映像にも残っていない。手元に残されたチケットと自分の記憶だけが『うるう』が存在したことの証でした。2016年に再演があるかどうかも、当時はなんの確証もありませんでした。
かすかな記憶を頼りに『うるう』の音楽をピアノで弾き、セリフの断片をノートに書き留めました。何度も『うるう』の夢を見ました。どんな夢を見たかも鮮明に覚えています。

それでも、たったの4年です。私は2016年に再び『うるう』に出会うことができました。
最初のチェロの音を聴いた瞬間、自分が聴いたあの音は、何度も夢に見たあの舞台は現実だったのだと、客席で全身が崩れ落ちそうになるのを必死で堪えていました。

マジルは自分だけが出会ったヨイチというひとの記憶を、40年ものあいだ、ずっと一人で抱きながら生きていた。想像することもできません。
ヨイチが生きた152年はとてつもない時間ですが、マジルが一人で彼のことを思い続けていた40年もまた、今の私にとっては途方もなく長い時間です。

ヨイチが森のなかで暮らした40年と、マジルが人間の社会で生きた40年は、きっと全く違う時間の進み方で流れていたのだろうと思います。背景に二人の年齢が一つずつ重なっていく時、その速さの違いに呆然とさせられます。
マジルはカノンのような歩みで一つ一つ歳を重ねながら、いつか再び出会うその瞬間を思い描いて、ヨイチのことを思い出していたのかもしれない。
最後に彼が立ち上がってヨイチと向き合う瞬間、今までのチェロを奏でる彼の姿がそんなふうに見えるような感覚がありました。
マジルもきっと、この瞬間を40年間待ち続けていたのだと思います。

今日は2月29日、うるう年のうるう日。ヨイチとマジルの誕生日です。
40年の間、うるう日がやってくるたびに、ヨイチはマジルのことを思い出し、マジルはヨイチのことを思い出しただろうと思います。
これから何度も訪れるうるう日には、二人の互いを想う気持ちが積み重なっていく。
そこには私たちが2月29日を迎えるたびに『うるう』という作品を想う気持ちも、積み重なっていくはずです。
うるう日は、そんな愛が積み重なり続ける一日だと思います。



2020年2月29日

5分前のアナウンスが入ってから、すぐに静寂に包まれた。一番早い静寂の訪れだった。

幕の裏から足音が聞こえたような気がする。森のざわめきが聞こえ始めて、耳を澄ましていたら、何人かの咳の音がして、それが終わるのを待っていたかのように、調弦の音が聞こえた。

幕が開いてからしばらく客電が落ちていなかった。一瞬、客席と幕の向こうの景色がすべて視界に入る瞬間があった。

うるうのテーマのメロディーにも情感を感じた。いつも以上に抑揚があるように聞こえた。

全てに対して「これが最後」という感傷が生まれてしまう。幕の向こうで穴を掘る誰かにとっても、これが最後のうるうなのだと考えてしまう。

「うるう」の文字が出た瞬間、客席を貫く強い光の筋を見た。
(私たちの頭上を通って映し出されていたこの文字、消える瞬間の溶けるような、解けるような、染み渡るような瞬間)


「めくって、めくって、」に遊びがない。とにかくヨイチの言葉として存在していた。

「違和感がなさすぎて逆に何も感じない」これに対して何かの意味を感じそうになったのは初めてだった。

薄幕が上がる間の日記、いつも以上に書いていたように見えた。文字だけではなくスケッチまでしているように見えた。

「あ!罠になにかかかった!」の感情、うれしさと驚き、すべてに感情が乗っていた。

「に、に、人間じゃないか!」の驚き、本当にすべての感情がいつもの1.5倍くらいになってこちらに伝わってきた。

「知らないおじさんと…」のくだりの会話感、「だからこそ?知りたい」もちゃんと間があって、その場にいる少年の言葉を待っている。

「名前だよ、ヨイチ」よ、い、ち、と胸を手で軽くたたいて示す。

「おばけの、う、うるう? うるうだぞー、がおー」の後、両手を頭の上でぱっと広げてポーズをとって見せてから、「これでいいか」少年とのやりとりの自然さ。

「私は、いないことに、なっているから」一つ一つの言葉が響いた。

日記に書くとき、いつも口だけ動いていたのが、今日は「マ、ジ、ル」と聞こえた。

「これ、うるう年のうるう日、2月29日のことかも、しれません」の響き方。こんなに特別なものとして響くということ。

「ばかヨイチ、ばかヨイチ、」がどんどん聞くのがつらくなってきた。それに対して「くっそー、うまいこといいやがって」になっていることが本当に愛おしいと感じた。

日記に挟んだ落ち葉、ちょっと前のほうに滑って行った。拾い上げて、見て、「ああ!」の瞬間に顔がパッと明るくなる瞬間を見ることができた。

「神か」のあと、ラジオに耳を傾けていたらマジルが罠に引っ掛かり、鈴の音で「うわあ」と驚く瞬間、手に持ったラジオが宙に浮いて、両手で取っていたのを見た。ラジオが宙に浮くのを確かにこの目で見た。

「…リビング」考えながら何か言おうとして、出てきた言葉、という間が存在した。ダイニングキッチンの時もそうだった。マジルの横移動はゆっくりめで、ヨイチの間合いを探っているような足音だった。

「おいで」の声が本当に優しくて、大人として頼もしい存在としてではなく、もうすでに愛情が含まれた声色をしていた。

旅人前「もう疲れたよヨイチさん。見て、わかりませんか、この温度差」

「いつも、ひとつたりない。いつも、ひとりあまる」という言葉を、リズムとしてではなく、句点をつけて、文節を区切ってはっきりと言っていた。

「おもちが足りない カレーが足りない」の響きの切なさ。「ズボンのあまり布ならいらない」の足、静かに置く。

「私のことなど取るに足らないし」で苦しくなる。「あまる!ひとりだけあまる、あまりにもあまる」の言葉から伝わってくる感情。声やリズムの勢いではない、感情の乗った厚みのある強い声、重み、圧。

6つ目が手に入った瞬間の客席の声、一番大きくて、拍手も起きた。全員がその瞬間を待ち望んでいたことが本当によく伝わってきた。「かわいい!」と言って撫でて、呼んで歩かせて、一回転させて、「いつもひとつ、たりない!」消えた瞬間。

機械室のほうへ向かうマジルに、「だめだめだめだめ、だめ!」と制止する。ダメ、と制止した瞬間の間、マジルに向かって言っているということがわかる間。子供に向かって言っているという口調。とにかく彼への愛情がにじみ出ていた。

「おお、ようし、じゃあ一部紹介してあげよう」マジルが「見たい」と言っていた。

「えーっと、どれがいいかな、…これなんかどうだろう」本棚から取り出し「懐かしい」

「マグロの漬けをまず頼んで、で、ひっくり返して、しゃり、づけ、づけ、しゃり、にして、ダブル漬けライスバーガーを作っていた人の数。これがなんと、32?人もいたんだ!」

「きっちり100個数えて実る木の実はないし、」上のほうを指して、木に実った木の実を示す。「きっちり1000枚数えて散る枯れ葉はない」手のひらをはらはらと落とし、地面を見て枯れ葉を示す。

「春はだんだんと夏になるもんなんだ。夏は何気なく秋になるもんなんだ。秋はしれっと冬になるもんなんだ」

「うるう年があって、うるう日があるんなら、さながら私は、うるうびと、ってとこかな」ゆっくりと、間をとって。「ちょっとしゃべりすぎた」小さな声、苦しい重みがあった。

「どうした、上がってこられるんだろ。知ってるぞ」の後、間があって、「ケガしたのか」それは本当にマジルの声を聴いたくらいの間だったと思う。

「学校の先生に習ったんだ。私だって、先生の言うことは聞いたんだぞ」の後、間があって、「ああ。クレソン先生と言ってな。素晴らしい先生だった」それはマジルが「どんな先生?」と尋ねる声を聴いているような間だった。

「呉服屋さんの呉に、村。」しばらく待って、笑いながら「8歳だもんな」マジルがわからなそうに首をかしげている様子を見て笑っていた。

クレソン先生が本当に楽しそうで、クレソン先生の楽しさと、ヨイチの見ている先生の記憶がいつも楽しそうにしているのと、クレソン先生といるときにヨイチが楽しかった記憶と、クレソン先生のことを思い出しているヨイチが嬉しいのだろうなという、すべてが重なって幸せな光景だった。

「あの機械? いや、もう使ってないよ」の声。諦めのような、昔を思い出すような。

「私に友達はいない、0人だ。0人の友達どうやって数える」とても普通に響く声、いつも通り、当たり前のこととして言っている声。

そのあとの驚きの大きさ「君と私が、友達に?」大きくうろたえていて、「なにを、藪から棒に」と言っていた。

「え、帽子?」といって穴のほうを見て、穴の途中の枝かなにかに引っ掛かっている帽子をつかもうと手を伸ばして、足を滑らせて、落ちた。「膝ターン!」と打ち付けていた。いって!と叫びながら穴を這い上がり、帽子をとって、上で膝をこすりながら「ほら帽子!」と彼のいるほうに投げ渡した。

葉っぱをとって「ドクダミ~!」と言いながら両膝にこすりつけていた。

「ウサギが捕まえられないのだって、君のせいなんだ!」わざと子供っぽい声にするのではなく、本当に怒っている強く大きな声で、「子供っぽさ」がポーズではなく本当の感情になっていた。

コヨミさん前のチェロが響いている間、劇場の上を見上げていた。照明がさしていて、音が響いていて、この空間のことを記憶に焼き付けようとした。

「ひどく、うれしかった」の響き方。

「…ってね」のあと、立ち上がってかなり間を置き、「これは、どう思いますか?」「ま、嫌いな男には、言わないと思うんですよね」の後、ちょっと変な動きをしてすぐに「すいません」と弓を受け取った。

「世の中はどうしてこうも割り切れないんだ!」深い悲しみが響く声だった。

「卑屈が  屈折に、変わった」間があり、それによって客席の空気も変わっていたと思う。奥から走って投げつけようとする動き、笑いは全く起きなかった。

「では誰が、誰だったら、一人いなくなっていい」という言葉があまりにも苦しくて、なぜならその先を知っているから。
「私か」受け止めるような、いつものニュアンスとは異なった声。チェロの響きが優しく柔らかかった。ずっと泣いていた。

「今日はっていうか、もう、来ないのかな」の切実さ。

しなだれて、そのあとすぐに戻って「マジルか?」マジルが来たことへの喜び、はねながら「マージール!!!」と叫び、慌ててポーズをとって「なんで来るんだよ!」と言っていた。

「嘘だよ、帰るな」のあたりからもう表情が笑っていて、楽しそう。

「それ何?」と尋ねると、マジルから楽譜が手渡された。

「ちょっと、  ついてこい」ついてこい、にあふれている優しさ。

チェロの響きの深さ、厚み、お面をとって、マジルの顔をしっかりとみてから、「大丈夫」と言って、手を握る。小指から順番に。

カノンのメロディの後のチェロ、いままでで一番情感的だった。

「ここは私の、秘密の畑だ」畑のほうをしっかりと見て、誇るような表情だった。
「イチゴ。ネギ。トマト。キャベツ。トウモロコシ。キュウリ。ニンジン。インゲン。」一つ一つを紹介していく間、その長さ、言葉の置き方。

「私には、いつだって、一つ、足りなかったのだから」の染み入るような声、楽譜を開いたまま両手で胸にかき抱く姿。
「しかもこれ、8歳にしちゃあずいぶん上手にかけてるじゃないか」の時、畑の光に照らされる楽譜の美しさ。

待ちぼうけを聞くときの姿、じっと動かずに目を閉じて聴いていた。立ち上がる直前に顔をマフラーで拭っていて、それが汗なのかも涙なのかもわからないくらい、彼にその音楽が染み渡っているという表情をしていた。
畑から野菜を取る動作が本当に楽しそうで生き生きとしていて、マジルに食べさせてからお腹を抱えて笑う姿も本当に生き生きとしていた。

影絵、ふくろうが飛んでいくところからウサギが生まれる瞬間まで、畑の時からずっと泣いていた。とにかく美しくて、一瞬でウサギが生まれるのが美しくて、泣いていた。

マカ、去り際に無言で口を開けてゆっくりと後ずさっていった。そのあと顔をマフラーで覆って笑いをこらえ、「うるーう」と言うとチェロがなき、「あ、本物がないた」でぱっと手を開く。「これフクロウじゃないな。誰だ?」の間もずっと楽しそうだった。

「グランダールボだよ」「ああ、グランダールボ。こんばんは」
「ずいぶん楽しそうだな」「別に、楽しそうになんかしてないよ」

「彼は私に、友達になろうと言ってくれているのに!」一息、重み

「私は、一人で、いるべき、なんだから」の苦しさ

ふくろうオバケ、現れた瞬間のチェロのpizzの荘厳さ、飛び立つ瞬間のarcoの激しさ。飛び方が一段と高かったように感じた。唸り声の強さ、こちらに迫ってくる姿とその声。チェロの音圧。回転がいつもよりも多くて、とにかくよく動いていた。

「マジル、聞いて」うなずきながら彼に手を添えて、そっと切り株に座らせる。
「あのね」こらえるような声、「やはり私は、君とは、友達には、なれない。私が一人でいるのには、理由があるんだよ」こみあげてきているものを抑えようとしながら語っているのが伝わってくる。

「これで、転校作戦は使えなくなった。15歳の少年が戸籍上は60歳。どう頑張って説明しても、信じてもらえる話ではなかった。」の切実さ、苦しさ、この事実を伝える言葉からこんなにも苦しさを感じ取るのは初めてだった。

「余った。私は世の中から完全に余った」の苦しさ。

「なまらむまいなごにになこともあるもんだべ」の、杖に顔を載せる姿の愛おしさ。

「森に逃げたんだ」の決意、きっぱりとした表情、「ここにいれば、何も変わらない」の気迫。

「それにここには、私より年上の先輩が大勢いる」の抑揚、感情。

「グランダールボ。マジル君です」「そうなのかい」みたいに聴こえる。

「聞け、マジル。私はね、数百年を生き続けるかもしれないんだよ。これがどういうことか、君にわかるか?」君にわかるか?の裏返り方。
「私がどんなに人を好きになっても、必ず、私より先にこの世を去っていくんだよ。父も、母も、クレソン先生も、コヨミさんも。私をばかヨイチとはやし立てた奴らも、みんな。みんな!」最後のみんな、の悲痛さ、裏返った悲鳴のような声。
「だから私は、人を好きにはならない。友達は、作らない」の気迫。迫ってくるもの。

「でも、もうしょうがないんだ。ほら、さっきの同級生30人から、オバケのうるうのことが地域に伝わるだろ? 森に子供を襲うオバケがいるとあっちゃあ、大人たちが動き出す。私は、もっと森の奥へにげなくっちゃ。だあれもたどり着けないくらいの、森の奥へ」
この言葉が、何かを抑えるような声色だった。諦めのような、割り切った声ではなくて、感情が先にあふれ出るのを抑えているような声。

マジルの顔をまっすぐに見つめ、驚いたように目を開いている表情。そのあと一瞬で強く引き寄せられて、抱き締められる。
手を回すまでに永遠のような時間が流れていた。本当に、ずっとそうしていたいに決まっているということが、その時間から伝わってくるような、長い長い瞬間に感じられた。頭に手を回して、抱き締め返してうつむき、引き離す。

「泣くな」の声も、マジルに対して言う以上に、自分の感情を抑えながら言っているようだった。
「さあ。もう帰れ」消え入りそうな小さな声だった。「じゃあね」とも言わなかった。

「まだわからないのか!私は、人間の世界から、あまったオバケなんだよ!」気迫、感情、すべてが滾っている強さ。
「うるーう! うるーう! うる、」お面を取って、道の先を見る。顔を動かして彼の姿を追う表情。

木に登り切ってからの大きくて荒い、激しい呼吸。「なあ」と話しかけたお面はそっぽというより正面を向いていた。

「うるう、うるう、うるう」がずっと悲痛で、叫ぶ直前のそれは裏返った「うるうー」だった。「うるーう」という叫びは、最後まで声がずっと響き続けていた。詩が現れている間口を大きく上げて動いていたけど、それはもう「動き」ではなくて、動いてしまっているような揺れだった。
木から降りる時、大きくよろめいていて、何かがぶつかった音がした。前を通って正面に立つときも、本当にその場に倒れこみそうなほどによろめいていた。
嗚咽のような声が聞こえたと言っている人がいて、言われてみればそうだったような気もする、自分も泣いていたからわからないけれど。その姿に涙と震えが止まらなくなった。
彼が森の奥に立ち、木々が彼を隠していくのを見ていると涙が溢れ続けていた。

「じゃあ、そろそろだね!」「だね!」とてもはっきり言っていた、可愛い。

楽譜が日記から落ちた時、楽譜を挟んでいるということ、覚えておきたかったということ、そこから目を背けて、それでもまた挟んでしまうということ、その意味すべてを改めて感じて泣いてしまった。

チェロの調弦が始まった瞬間、それまで表情が見えていた彼の顔に帽子の影がかかって、全く別の姿に見えた。穴を掘るときのヨイチ、必死で声が聞こえていた。
カノンが始まった瞬間の音、丁寧に、一音ずつ紡いでいくような音だった。優しく、まっすぐな、かみしめるような音だった。
48、で重なった瞬間からゆっくりと前に進むヨイチの姿。
初めて重ねる待ちぼうけ、の柔らかさ。弱々しいというわけではない、でも力強くもない、思い出とともに響いている声。
「そこへ、うさぎが、とんででて」とんででて、が本当にきれいに重なっていた。

チェロが後奏を奏でた後、そのままヨイチの方を見て、立ち上がり、向かい合う。向かい合った瞬間のヨイチの身じろぎ、一瞬の動き、繰り返される大きな呼吸。


4回目のカーテンコール、一瞬で全員が総立ちになった、前から順番ではなく、一斉だった。

「おかけください」と優しく言い、待って、聞いてね、という表情で人差し指を立て、「今日は。2020年、2月、29日。うるう年の、うるう日に、うるう、という物語を、ご覧いただきました。」
「まず一言。よくきたね」
「客席に明かりがついて、やっと皆さんの姿がよく見えます。マスクをしているかたもいて、でもその下では、笑っていることだと、思います。もし笑っていない方がいたら、笑ってください。笑うとNK細胞というのが活性化して、免疫力が上がるらしいので。」
「色んなことがあります、衛生管理の問題や、花粉症なんかも。今回は本当に、花粉症の方には不快な緞帳を作ってしまって。大丈夫です、この森に、花粉は飛んでいません。」
「帰ったら、手洗いね。」

「ここで、一人の仲間を紹介させてください。この人がいなければ、この作品は生まれませんでした。音楽、麦を演じてくれた、徳澤青弦!」

「what do you say something?」
「日本語で大丈夫です」
「日本に来て長いもんね」
「ありがとうございました」



余聞:リラの花

『うるう』が幕を閉じ、カーテンコールが終わり、客席の明かりがついた時、劇場に流れていた曲があります。

セルゲイ・ラフマニノフ作曲の『リラの花(Lilacs)』です。

この曲は2016年の再演から、開演前と終演後に客席で流れていました。
以下は再演時の開演前に流れていた曲たちです。

自分で探し出したものなので、一部間違いもあるかもしれません。
2020年の開演前には森の音が鳴っていましたが、終演後は2016年と同じように、この曲たちが『リラの花』から順番に流れていました。

リラの花の別名はライラック。札幌にはたくさんのライラックの木が育っています。

ヨイチと同じ年に生まれた植物学者、宮部金吾の記念館の前には、札幌最古のライラックが育っています。


『リラの花』はピアノで演奏されますが、元は歌曲として作曲されました。

朝 夜が明けるときに
露に濡れた草をかき分けて
私はさわやかな空気を吸いに出かけよう
かぐわしい木陰に
ライラックの花が咲き誇るところ
私はそこで幸せを見つけたい

朝露に濡れる森の中に美しく咲くライラックの姿が歌われます。
『うるう』の物語が幕を閉じた後にこの詩を読むと、森の中で再び出会えた二人の姿や、それからの日々を生きていく彼らのことを想像します。

ライラックの花言葉は「友情」「思い出」です。

2020年2月29日、最後の『うるう』を観てから、私は一度も『うるう』の映像を見ることができていません。『うるうの音』も、一度聴いたきりです。
2020年まで、この作品を映像に残してほしいと願い続けていました。映像も音楽もこの世に残された今、いつでもあの世界に帰ることができるという事実は心の拠り所になっています。youtubeにも公開されて、この作品がたくさんの人のもとに届くことが何よりも嬉しいです。
けれど私は、もうしばらくは自分の中にある『うるう』を大切にしていようと思います。
いつか『うるう』の映像を見るその日まで、このリラの花の旋律とともに、劇場で受け取ったたくさんの思い出と共に生きていこうと思います。


ヨイチ、マジル、お誕生日おめでとう。

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