余裕

最近貰った聖書は、誰か1人の人のバックアップで翻訳、出版されているみたいです。聖書のどこにも名前を書かれていない(人間に注目を集めたく無いみたいに書いていました。)ので誰かわかりませんが奇特な人もいるもんだなと思います。統治体はチャンスがあれば自分達の写真と名前をアピールするので承認欲求にドン引きしています。それとは雲泥の差だと思います。最近貰った聖書の資金を出して方向性を決めた人はそんなことしなくても、根っから余裕のある、他の業界で有名な人のような感じがします。聖書の雰囲気が、全て「余裕」の一言です。多分、バックアップしている人も、翻訳している人も、出版してる人も、余裕があるんだと思います。伝道せな!伝道!という雰囲気も無いです。「この聖書でみんなのQOLが上がれば良いな、神について知ってくれたらな」という気持ちで書かれているような感じがします。

エホバの証人の聖書は比べてみて初めて思いましたが、「これで信者と寄付を集めなければならない。翻訳をボランティアでやらなければならない。生活キツい。」という雰囲気が滲み出ています。どうしても圧力をかける雰囲気、命令してしまう雰囲気、罪悪感を感じさせる雰囲気が、全体から漂っています。一言で言うと、そやね、悲壮感?

翻訳だけでも、集団でやっていても、それに携わっている人の何かが文章で伝わってきます。

わたしの文章は、わたしについてわたしが思っている以上にわたしについてダダ漏れなんだろうと思います。読んでくださっている人を気落ちさせるようなことはしたくないので、できる限り気持ちに余裕を持って考えたり生活したいです。生きてりゃ色々あるけどね。