「嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去った。」

沈没船映画でも有名な言葉ですが。

現実的に考えて地球がエホバの証人の言うように楽園になってもやっぱりわたしは何かあれば嘆き叫ぶし苦痛は感じる事があると思います。ペットを飼っていますが、いくら素晴らしい場所にいても愛する存在が例え眠るように命を終えたとしてもわたしは寂しいと思うし1匹1頭関係性も違います。みんな会いたいですけどやっぱり1番愛した仔が死んでしまって10年以上経ちますが未だに悲しいです。怪我をしたら苦痛はあるし泣けるでしょうし。

この内容は親が言っていた事です。本当にそれらが無くなる場所というのは天国じゃないかと。

144000人、エリック兄弟によると、この数字は象徴だそうです。ガラテア4章27節(その前後の文脈を含め)ではサラの子孫がハガルの子孫より多くなるとのイザヤ54章1節の神の直接の預言が生きているそうです。この数字が実数であれば、生み出されてきたハガルの子孫を上回るはずがないそうです。

象徴的な144000人がなかなか集まらんので、啓示の書がなかなか進まんのかもしれない。だってほんまに良い人って少ないやん。あ、わたしは良い人違うしそういうの嫌いやから入って無いよ。それは確かやと思う。責任嫌いやねん。ほんま優しくて他人を思いやる武士のような人は是非メンバーになってあげてください。そしたらわたしの人生もはよ終わるでな。多分神にとってクリスチャンかそうで無いか、あんまこだわり無いと思う。聖書にはクリスチャンが〜とか書いてるけど、多分イエス・キリストもどうでも良いと思ってるはず。

これはわたしが個人的に思っている事ですが144000人のほかにも天国の神の王国で暮らす大勢の人々(?)がおられると思います。何人増えようが神なら完璧に人口は把握される能力がもちろんあるはずです。(そばに置いておきたい人間はそばに置いておくということだと思います。なんてわがままな神だ。)でも人間から見て大群衆なのではないでしょうか。その人たちにとって嘆きも叫びも苦痛もない。わたしが勝手に思っていることは、啓示の書を書いたヨハネが、大群衆って書いときゃ間違いなかとよ!と思ったんだろうと。この地球はこんなに広いです。天国がどれほど広いかは分かりません。地球より広いかもしれません。どうでもいいけど。

聖書の文章を真に受けると、いかにエホバの証人の解釈に洗脳されてきたか、そして今でも洗脳されている部分があるかがより鮮明になります。

わたしはもう一度飼っていたペット達に会えるなら、そして一緒に寝て腕枕をして、手首が布団を支えて腱鞘炎になって幸せだなぁと言えるなら、とりあえずどこでも行ってみてもいいかなと思う気持ちが正直なところ少しあります。安楽死はしたいですが、安楽に死んでも、天国に一旦行ってみなくてはならないならペットたちとみんなでお手て繋いでスキップして行きたいです。それでも感情的に、精神的に無理なら永久に消してもらうようお願いできると思います。聖書の神は、なんでも適当で時間をかけるように読めるので、わたしの中では結構、細かいところについてはいい加減な性格の存在です。でも神にとってはそう思われていていいんだろう。