エフタの娘、サムソン
エフタもエフタの娘もエホバの証人は素晴らしい手本だと言っています。誓約を果たした。
わたしの親がそれもあるかもしれないけれど、違う側面もあるんではないかと言いました。
あれは親の言動で子供が不幸になったという現実が書かれている側面もあるかも知れないと思ったそうです。
2世の巡回監督について親は「あれは人身御供だ」と言いました。
エフタの娘も同じように思えたようです。
エホバは色んな側面を見ていただろうと言っていました。
でも結局エフタはお家断絶になり、娘が泣くことになったのが現実です。
大人がそこから真剣に学んでいれば、この日本のエホバの証人はこんなことになってなかったんじゃないだろうか。こんなに酷くはなかったんじゃないだろうか。
エホバがエフタに誓約を求めた訳ではありません。エフタが勝手に言い出した。エフタの娘の考えも神はどう思ったのか。誓約を果たそうとする気持ちを喜んだというエホバの証人の解釈は本当に合っているのか。独身を貫いて人生を宗教に捧げた娘を褒めたのは、人間の女性たちであって神が喜ばれたとははっきり書いていなかったと思います。逃げて恋をして結婚しても神は何も言われなかった可能性もあります。
サムソンも最終的には可哀想なことになりました。
エホバは彼が生まれる前から任命したので苦労はしても幸せにしてやりたかったはずです。
でもああなってしまったのが事実です。サムソンの意向や考えも考慮に入れ、周りの人間や、敵の動向、自由意志をどの程度尊重するかは神はしっかり線引きされていたように読めます。
結果的に力が強いだけで世間と恋愛に疎い純真無垢な人間が出来上がってしまいました。神とサムソン、サムソンの経験、彼の両親、同国民、敵国民、土地柄や気候、食べ物、飲み物、全て総合的に作用してあんな裁き人が出来上がりました。人生の岐路で2つはどうしても選べない、ということの結果だと思います。サムソンのピュアな傾向が悪い訳ではありません。むしろ読んでいても良い人だなと思います。それでも悪い人間と馬鹿な人間が周りにいる限り真っ直ぐすぎて騙されてしまい、両目を失い敵に連れて行かれて最後は死なせてあげた方がマシになってしまいました。デリラはやめておけと神に言われたとしても、自分とは違うものを持った人に惹かれることは彼にも止められなかったかもしれない。
彼の最後のシーンでは、わたしは「全てを捨ててもうゆっくり休め」と思います。
だからその後、同種の裁き人を神は任命されていないんだとわたしは勝手に思っています。
そういう人間を出さないようにもっと国民が神の言うことを聞いていれば、彼も苦労はしてもささやかながらでも幸せになれたでしょう。神は、言うことを聞かなかったらこうなるよと前もって言っていて、イスラエル人が聞かなかったのでやると言ったことをやって、イスラエル人が自業自得で苦しんだ結果こんな人ができました。
エホバの証人の虐待をしてきた世代、今でもしている人にも同じように聖書で悪いと言っていることを自分で見分けて自分で決定していけ!と思います。真の宗教なら1人でも苦しむ人間を出すな。我々エホバの証人は全員、首に石臼を付けて海に飛び込む覚悟を決めようじゃないか。