24年9月のブロードキャスティングをみて

思ったことを箇条書きします。

♦︎自分達が「時に応じて(だっけ?)養う相手、羊と呼ぶ人々」を下げる。貧しくて弱い現実を知っている。それでも搾取をやめようとせず、弱いままでいさせるため誘導する。

♦︎すぐに聖書からものみの塔に持っていく。

♦︎イエス・キリストより「エホバ、エホバ」と言う。

♦︎古代イスラエル人に言われたことを、現代の信者達に当てはめさせる。

♦︎エホバが弱い人々の責任を負うと(古代イスラエル人に)言ったのに、なぜか現代の貧しいエホバの証人にエホバの責任を負わせて、「神に貸してる」と言ってうやむやにし、組織の上層部がすべきことを丸投げする。

♦︎キリストはもう、クリスチャンに対してギリシャ語聖書に重点を置いているのに頑なにヘブライ語聖書を多用する。

♦︎色んな境遇の人たちの気持ちがわかるようなふりをして、組織はわかってくれていると思わせて洗脳。今は特に弱みにつけ込める、そういう弱い人たちから寄付を少しずつ(でも纏まると膨大)、せしめてなんとか児童性的虐待の賠償の補填と、彼らの生活の質を落とさないようにする。

♦︎色んな奉仕の形態を動画に挟み、目標にさせ現実を見させないようにする。

♦︎地上の永遠の命を希望させ、聖書とは違ったことを植え付け、「王国を閉ざす」。

♦︎権力に逆らう者はこうなるんだぞという脅し。モーセと統治体は違う。モーセは民へ見せることのできる神の任命、後ろ盾の印があったが統治体にそれを要求しても信者に見せることはできない。

♦︎「深刻な過ちを犯していたら、諦めたくなるような気持ちまで落ち込んで当然だ、つか落ち込め、そして我々に頼るが良い。」

♦︎優しさ、正義感、状況につけ込む。

♦︎組織には愛があると嘘をつき、信者ができる限り現実に辿り着かないように願う。

♦︎翻訳のおかしい聖書を使わせる。(でも正しい翻訳も脚注に載せている部分もある。脚注に載せるくらいならそのまま訳せよ。スタディー版の脚注に正しい翻訳が載っていれば、本文には組織が何らか誘導したいという意思を読み取れる。)

こういう内容は以前から書いています。でも今日も書くしできる限りこれからも書く。あいつらは繰り返す。だからわたしも繰り返す。