テモテ第一3章8〜11節

「援助​奉仕​者​も,真面目​で,二枚舌​を​使わ​ず,多量​の​酒​を​飲ま​ず,貪欲​に​不当​な​利益​を​得​よう​と​せ​ず,やましい​ところ​の​ない​良心​を​保っ​て,神聖​な​秘密​で​ある​信仰​の​道​を​しっかり​歩ん​で​いる​べき​です。この​人​たち​は,その​仕事​に​ふさわしい​か​どう​か,まず​試さ​れ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。非難​さ​れる​ところ​が​なけれ​ば,奉仕​者​と​し​て​仕え​さ​せる​こと​が​でき​ます。女性​たち​も,真面目​で,中傷​し​たり​せ​ず,節度​を​わきまえ,あらゆる​点​で​忠実​で​ある​べき​です。」(エホ証、スタディ版)

「執事もまたこういう人でなければなりません。謹言で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利を貪らず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、全てに忠実な人でなければなりません。」(貰った聖書)

エホバの証人にとっては都合がここは、悪かったのかな?もしエホバの証人の言うように「女性もキリストと共に王として支配する」だけの人間性があるなら、人間として生きている間に執事という名札、立場になったって自分がつらくて大変な時も人の気持ちを考える事ができるだろうし、急に大金が舞い込んで気持ちがうなぎ登りになって頭はっちゃけてしまうような人間にはならないさ。

あと、パウロが「わたしは〜意見を述べます。」と書いているところがあったよ。(「わたしの意見を述べます。」エホ証、新世界訳。)コリント第一7章25節。幾ら聖典と言えど、やっぱりそう書いているところは、そのまま読むとパウロの考えなんだなぁ以上は考えられないね。神は違う考えかも知れないし、そこまで細かくは考えておられないとわたしは個人的には思う。

エホバの証人は聖書に入ってるから全て神の言葉で、全部細部まで神の言葉で「命令」だと言うけれどね。

ただ、当時の人にとっては良い事が書いてあるし、みんなが書き写してそれが聖典になったんじゃないかと今は思います。

それについても聖書の神が本当にいるなら、細かいことは言わないんじゃないかな。