情報収集
今のところもうJ Wという文字を見ることすらうんざりしています。というか自分がJWということを本当に忘れてる時間が増えてきました。やべぇべ。
一応J Wライブラリーは残してありますがあまり雑誌も読んでいませんし動画もたまにしか見ていません。残しているのは少しの歌と音声劇くらいです。奴らの顔を見たくないのです。
アンソ〇〇・モリ〇はどうしてるのでしょうね。本名はアンソ〇〇・モリ〇jrでしたかね。3世というのは偽名みたいですね。「小さなことにも忠実」と言いながら偽名て、あんた。排斥はされていないのでしょうか。いくら統治体でなくなったからと言ってもあの組織でしか生きていけないだろうし。あの組織にいなければただのアル中のお爺さんです。お腹を見ればわかりますがな。でも信者からふんだくったお金があるか。でもあの腹囲を維持できる酒を購入するお金は今までの様には与えられないんじゃないでしょうか。今でも自分は天国に行って「王として支配する」とか本気で真顔で言っておられるんでしょうか。過去の栄光に縋らず前をお向きくださることを心よりお祈り申し上げます。
過去に受け取った紙類をまだ分別しているところです。他の教会のクリスチャンに貰った聖書だけ有れば良いと思います。
それでも続けられる限りは会衆の情報も、組織の情報も彼らの解釈も収集していたいと思います。組織を抜けるタイミングをはかるのももちろんですが、わたしの洗脳を解くためにも、聖書を正しく理解するため&理解できているか確認するため、情報は必要だと最近思います。ラッ〇ルの問題点も、ラザフ。〇ドのやりたい放題の恐怖政治ももっと調べる必要がわたしにはあります。でももう既に実は息切れモードです。ヒィハァ。
統治体の住んでいた豪邸を見るだけでも貧乏なやもめの寄付のお話を思い出します。以前も少し書いたと思います。Beroean picketsのエリック・ウィルソン兄弟が説明されています。ルカの聖句は21:1〜5になっていますがその前からの続きだそうです。(マルコ12章は、しっかり章として続いているので組織はルカの聖句を多用しますね。)20章の最後の節のやもめの家を食い荒らす実例としてイエスは「全てを入れた」と言われた。やもめを褒めておられるのではないそうです。
最近、組織はわたしのようなクリスチャンに警戒しているようです。わたしはあまり見たくないので親に見てもらい内容の説明を受けた動画があります。わたしのようなクリスチャンを「霊的に弱っている」とか「揺れ動く波のよう」に不安定とかエホバへの愛がうんたらかんたらと言っておられるようですね。「わかってるやん」と思いました。別に弱ってはいませんし不安定でもありません。でももう心は完全に決別しているのにジリジリと気づかれないように離れようとしている証人が本当に多いんだろうと思います。それを統治体はわかっているのです。信者は800万人?本当に?早くわたしのこれからの人生に集中したいです。週中の集会はズームのそばにいてもイヤフォンを刺してもらって、聞いているのは実質発表だけなので嫌な思い出も増えません。長老たちの声を聞くと懐かしいです、既に。
ノルウェーのカルト認定も痛いでしょうね。大事な収入源がね。別にカルト認定されようが法人を取り消されようが信教の自由は奪われていないのに財産を失う時はわかりやすく慌てる組織です。伝道できているなら感謝すればいいと思いますね。オーストラリアの裁判は有名過ぎるので割愛します。
親をこの世界から見送って1人になるまでには出て行けると思います。自分の得意な戦い方ではなく、敵を知り敵に合わせた攻撃で戦う方が体力を奪われずに済みます。(何回も自分に言い聞かせてすみません。)
エホバの証人の中にも優しい人や騙されて可哀想だなと思う人もおられます。しかしその人たちもやはり我々が排斥や断絶になれば(ちなみに聖書に排斥や断絶という文字は本文にありません。)聖書を踏み越え飛び越え遥か彼方まで、忌避するのです。異国人や収税人のようにと書いたのはマタイです。収税人マタイはイエス・キリストに話しかけられて直属の弟子になったのです。イエスは他の異国人や収税人とも普通にご飯を食べられました。エホバの証人の当てはめ方はカナダでの裁判所でのダブルスタンダードを思い出します。
またまたエリック兄弟の受け売りになってしまいますが(彼はきっと聖書の真実が広まることを喜んでくれるでしょう。)統治体はイエス・キリストが言われた「蛇の子孫である書士やパリサイ人」です。災いです。人の前に開かれた「王国の扉を閉じて入れないように」する人たちです。「天の王国には自分たちが行くから。お前らは天の王国には行けないから。お前らは神の友で子供じゃねぇから。」
クリスチャンみんな神の子供だよと。天に来て一緒に生きようよと神が言われていると聖書には書かれています。しつこいって。ごめんなさい、でも書きます。書きたいから。ウォー。
1世紀のクリスチャンにも、イエス・キリストにも、キリスト以前の預言者たちにもエホバから遣わされた、選ばれたという証拠がありました。モーセは指導者に任命された時、エホバから選ばれたというイスラエル人への証拠を願い求め与えられました。統治体は『自分で言っているだけ』です。詐欺師が「わたしは詐欺師です!」とは絶対言いません。信用できる人間を演じます。
書士やパリサイ人も神の民の一員でした。人々を教える立場でした。それでも背教していました。律法を守って居ても意味がない以上に害悪となる存在でした。聖書本文に統治体の文字はありません。エルサレム会議は、あくまでもエルサレム会議です。
モーセの座に座っていたのは書士とパリサイ人でした。取ってかわろうとしていたのです。今、イエス・キリストの座に座っているのは誰でしょうか。エホバの証人の適当な動画をチョイスして「エホバ」「イエス」「組織」がそれぞれ何回出てくるか数えてくれている動画もYouTubeに出してくださっている人たちがおられます。
弟子たちも誰が1番偉いか争いました。イエスが虐待されて死ぬと言われ出して争いが増えているように読めます。イエスが居なくなったらと、当然思うでしょう。自分たちは直属の弟子です。移り気な大群衆や、イエスの話の説明をイエスから直接聞いても理解せずやる気を無くす弟子たちも大勢見ています。今後誰がどのように取りまとめ、采配していくか普通なら考えませんか。そしてイエスが死ぬなんて考えたくないです。考えたくないことを考えてイライラしながら12人で話し合ったら投げやりにもなりませんか。そこで誰が1番偉いかに話がずれたように読めます。だからいつもイエスは「しょうがねぇ」という態度なのかね。
統治体の傲慢さと偽善と詐欺とは話が違います。12人はお金と権力の欲に負けて喧嘩した訳ではありません。ユダ・イスカリオテは最後の方で何を考えていたのかとは思いますが。でも彼の最後の方こそ頭のおかしいエホバの証人の生き方にリンクしてしまう。
イエス・キリストは、羊は声を聞き分けると言われました。エホバの証人のように自分たちに都合の悪い情報はシャットダウンして「謂れのない迫害」「フェイクニュース」と言うつもりはありません。彼らの現実を見て、聖書と違うところを聞き分けていきたいと思います。ゼィハァだけど。
あと聖書の主題は神の主権ではありません。自分の主権が脅かされて怖がっていたらもっとわたしたちに、現代でもアピールして来られると思います。主権なんか元来確立されているし、なぜ「愛の神」が自分の子供を踏みつけて「俺が、俺の方が注目されて然るべし!」って言うんですか。お前らより俺やし、と言ってる神がいたら精神的な問題のある神やなと思いませんか。聖書の主題は「将来とY H W Hの神の性格について。イエス・キリストという名前のこの世界の神について」