七つの星とおおかみ
エホバの証人の翻訳が合っているのかはわかりませんが以下4つの聖句は参照資料付き聖書です。
啓示の書1章20節「あなたがわたしの右手にあるのを見た七つの星と,七つの黄金の燭台とに関する神聖な奥義について言えば,七つの星は七つの会衆の使いたちを表わし,七つの燭台は七つの会衆を表わしている。」
啓示の書2章1節「エフェソスにある会衆の使いに書き送りなさい。右手に七つの星をつかむ者,七つの黄金の燭台の真ん中を歩く者がこう言う。」
使徒行伝20章29節「わたしが去った後に,圧制的なおおかみがあなた方の中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。」
マタイによる書10章16節「ご覧なさい,わたしはあなた方を,おおかみのただ中にいる羊のように遣わすのです。それゆえ,蛇のように用心深く,しかもはとのように純真なことを示しなさい。」
上記の聖書の言葉から何が分かるでしょうか。(エホバの証人っぽく。ふざけないとやっていられない。)
7つの星とは「いずれ現れる」などの文言はありませんし、ヨハネが生きていた時代から見て将来の、現代の長老たちとは書かれていません。統治体でも巡回監督でもありません。七つの星は当時の七つの会衆の使いたちであって、書き送れとあるので人間であろうと思いますが「七つの星は七つの会衆の使いたち」。真っサラな気持ちで読むとこれに尽きます。わたしたちには関係ないでしょう。手紙から教訓を得ることは現代でもできますが、今、7つの星というのは存在しないんじゃないでしょうか。
エホバの証人に、7つの星は現代において、組織の長老たちだと言われてきました。でも聖書にはどこにもそんなことは書かれていません。
自分たちで名乗っているだけだったんです。ということは彼らが背教者です。書かれていないことを教えている。嘘つきです。嘘つきの宗教指導者です。圧制しようとしている人達の手先です。もう本人達が圧制している会衆も多いと思いますが。
良い人もおられますが、1965年の製本を処分するに当たって、「羊の皮をかぶったおおかみ」という記事が出てきました。
おおかみは羊の皮をセレクトショップで手に入れた訳ではありません。自分で剥いで自分で着たのです。その背後には被害を受けて血みどろで倒れた、皮膚を失った羊が必ず居ます。
おおかみの口に残ったものや、袖口などに滲んでいる血をおおかみがいくら「インクだよ」と言っても判断するのはこちら側です。自分でやったことを分かっていて羊のふりをしているという事です。意識的でも無意識でも、騙そうとしているというところは同罪だと思います。羊の皮を奪う機会がついぞ訪れなくても、どんなににこやかでもしなくてはならなくなったらするでしょうね。長老になるという事は組織に完全に屈服することだと思います。でないと長老ではいられないから。弱い、という事ですね。
良いところもある人達です。良いことも言う人達です。でもやっぱり聖書に従うと言いながら聖書に従っていなかったら、それがその人の真の姿だったのです。教えからちょっと逸れているんじゃない、真逆です。7つの星が圧制的なおおかみに。
優しい思い出がたくさんあるので残念な気持ちですが、わたしはここで止まっている訳にはいきません。これからも真実を追求していきたいと思います。今は、どこかの団体に所属するのではなく、「霊と真理」を持って「神を崇拝」してれば良いんじゃないでしょうか。「してれば良い」ではなく「霊と真理」だけでないとクリスチャンとは言えないのかも知れません。