24年10月号の疑いの気持ちに負けないという記事を読みました

エホバは本当に気にかけてくれているんだろうか。
聖書読め。気にかけてくれていると書かれているので気にかけてくれているんでしょ(小泉構文)。こっちの思い通りではないだろうが。あー思い通りになってほしい。空からお金降ってこねぇかなぁ。何?神の上を行くなって?謙遜になれって?この程度で怒る神ならとっくの昔にわたしに対して怒ってるよ。聖書を読む限り、この程度ではニヤついているとしか思えないね。いや、ニヤついてる暇があったら金をくれと思うね。なんだこのループ。

以前の決定は正しかったんだろうか。
後悔しても良いじゃん。現実を見た方が良いよ。以前の決定が正しくても間違っていても自分で総括して、「これから」が大切なんじゃないの。大丈夫、何歳になっていたって「そこから」。死の間際後悔しても良いけれど、今後悔して先に進もうよ。大丈夫だよ、まだ途中だから。そしてきっとこれから先も後悔するよ。でもそれが人生だから。後悔しない人間は死体だけだ。

エホバの役に立てているのか。
「組織の思う通りに」役に立たなきゃ生きてられないって?生きているだけで役に立てているんだよ!聖書の神は基本幸せになるのが見たいだけなんだから。周りの迷惑にならないというのは前提だけれども、何もしないのが幸せならそれで良いらしい。でなければ最初から他の動物なんか作らないって。傷ついた動物の子供が落ちていたら後先考えず拾うのが「神のカタチに造られた」人間じゃん。子犬や子猫の世話をして、デレデレして何年もお仕えして、うん百万円つぎ込んで、その子らが死ぬ時涙止まらない。揺さぶって「死ぬな〜!」って言うじゃん。神も一緒なんだよ。神ってのは、人間に自分の役に立ってほしいって思って無いんだよな。神が人間の役立ちたい、人間にお仕えしたいと思ってるんだよ。もっと仕えてくんねぇかなぁ。エホバの証人の組織がそれを分かろうとしないのは、それを教えてしまうと組織の上のほうの人間が組織の弱い人々にお仕えしなければならなくなるからです。

あとエホバが傷ついた心を癒すって記事読んだよ。

大切に思われていると思えないおまえが悪い。
許されていると思えないおまえが悪い。
慰められていると思えないおまえが悪い。
仲間の兄弟姉妹によって慰められていると思えないおまえが悪い。
希望で慰められていないおまえが悪い。

そういうことか?わたしはそう読めました。そう思わせようとしているのは組織です。その上で、神のように我々を扱わず、金をせびって、奴隷を「建設奉仕者」「ベテル奉仕者」「特権」と言ってすり替えている組織が「あなたは大切なんですよ、そう思えませんか?」なんて言うのはいかがなものかと。思える訳ないやろ。コントだねぇ。

人々という贈り物って言う記事は薄目で見ました。感想は「何言ってんの?」これだけですね。一つ一つ突っ込めば決壊したダムのように言いたいことは出てきますがまとめると、君ら組織の幸せ願ってるよ、それだけですね。ずっとそこに居るが良い。その妄想の世界にな。それをわたしの世界にこれ以上侵食しようとしてきたらそれなりに戦わせてもらうから。