エホバの証人の訪問

最近急に年配のエホバの証人が会いに来てくれました。わたしは多分その人を、出会ったエホバの証人の中でも片手に入るレベルで信用していましたし、いまでも尊敬し、大事に思います。本当に、わたしを大事にしてくれていましたし、大事にしてくれています。

エホバの証人の親が対応してくれていたので、わたしは会うことはありませんでした。

ご高齢なので、もう会えないかも知れないと思っています。

誰にももう会うつもりはありませんが、それでもあの人には心残りがあります。組織の間違い、組織が偽物だと気付いて欲しいけど、言うことはできません。今は言えません。会衆で、この人にはと思う用意してある手紙を、あの人にも出すつもりです。出すなら一斉です。だから今は、ただ何も言えず、何もかも過ぎ去らせるだけです。

エホバの証人の親もその日は落ち込んでいました。もうこんな風に会うのは最後かと思ったみたいです。そして、あの年齢で、組織内でまだこんな搾取されてると思ったみたいです。会衆からも搾取され、多分陰口を叩かれ「放り出されている」。本人が選んだ、選んでいることとはいえ、そんな姿を見て「当然」「当たり前」とは、思えません。

さよならも言えず、終わるんだなと思います。

さよなら、今までありがとう。

会いに来られた日は、無事その人がお家に帰れたかだけSNSで確認しました。無事帰れたみたいです。それだけでも良かったじゃないかと思います。思おうと思います。

別にわたしはあの人にも忌避されてもいいと思います。話は通じないことは分かっています。忌避してくれた方が楽かも。

でもわたしはバプテスマを受けた日から、その前から、聖書の書いてるような良い人間になりたいと思っていた十何年前のわたしと、気持ちは何も変わってないんや。何の悪いこともしてない、聖書的に罪も何もない、ただ、大会にも集会に行かないし、伝道もしないだけ。「誓ってはならない」、やけど、神の前でも、イエス・キリストの前でも誓える。明日のことはわからんけど、今日、わたしの中身は何も変わっていない。

それが通じんのよな、悪魔に捕らえられた、犯罪人みたいにずっと思われる。今までの思い出も嘘みたいにね。嘘やないのにね。今でも変わらず思い出も、大事に思ってるのにね。

でも万が一話が通じたとして、今更あの年齢で真実を見て、ショックを受けて、ダメージに晒されて、今まで信じて来たものが崩壊して、何も良いことはないと思います。誰にも気軽に組織を出ろなんて言えない。そしてあの人の場合、くらまされるネックは特権意識かも。とにかく必要とされること。それが大事で、肝心なものがぼやける。

自分で行動しないと、自分の信念、納得が無いと人は正しいことが分かっても動けない。でも動いたら、とても本人の手に負えないこともある。だったら、真実が分かっていても、組織に留まる方がいい場合もあると思います。それで生きていける方が大事かも知れません。

「こっちからはこの扉は開かないんだ。そっちから押さないとこの扉は開かない。」