便秘で死ぬかも知れないと思った日
2024年2月某日でした。
わたしはエホバの証人が組織としてズームを始めてからずっと親がズームに繋いでいる状態に便乗しているので、週末の集会の日、その日も親に繋いでもらって終了の見張り役を頼み(親もエホバの証人でずっとズーム参加ですが、繋いだまま何かしら用事をされていることがあるので)、終わったら退出してもらい、わたしは集会の前からトイレにこもりました。それでも出ないので家にあった年配の方用のリハビリパンツをよろめきつつ履き、夕方にはもう、あと一回でも踏ん張ったらわたしは死んでしまうと思いました。
それまでの踏ん張りで3回気絶しそうになっていました。
救急車は絶対に絶対に嫌でした。書くのも嫌ですが臭い汚いダサい。アラフォーと言っても、まだまだ羞恥の心があります。なので心苦しくはありましたが親にありとあらゆるものを買ってきてもらい、車が家の敷地に入ってきた時、わたしは親が自分の部屋まで持ってきてくれるまで生きているんだろうかと考えました。
薬を飲み、絶対したくないと思っていたグリセリンをセルフで何回もし(自分でするのが怖い、キモい。他人にされるのはもっと怖い)、何回もトイレを往復し。遂にやっとのことでトイレで死ぬかも知れないとまた恐れつつ「ウオー!」と言いました。本当にwarですよ。
腸の形が。わたしは生まれて初めて自分の腸の形を知りました。知りたくなかったよ。
なけなしの精神力を振り絞って後始末をし、怯えながらシャワーを浴び、しかばね状態で斜めになりながらコタツに入り、なぜかエホバの証人について調べようと思いました。
それまで日本の宗教2世のニュースは出来る限り追っていましたが、本腰を今入れるべきだと思いました。
斜めに座っていることしか出来ることがなかったし、次の次の日は予定が詰まっていたので(詰まるという単語は今でもヒイィとなります。)、できる時にやろうと思ったんだと思います。
あの日がなかったらエホバの証人の組織の現実には辿り着かず、それまでのようにまだまだ洗脳されていて、脱出しようとは思わなかったと思います。だから誰がいつ何があって何を考えるかなんて誰にも分からないと思い、今に至ります。
何かオチの言葉を考えましたが出てきませんでした。水分不足にはご注意を。