会衆に一石を投じる手紙をいずれ出しますが(多分出すべき時は直感で分かると思います)、

手紙を出してから排斥の発表があるまでに、長老だけでなく色んな人が家に来たり連絡が来たりする(気遣いという名の脅迫をしに)ということを教わり、一昨日、「玄関に貼り紙しようと思うし、内容言うし、それを書き写して下書きしてくれ!」と親に言いましたが、いざ、最初の言葉から何も出て来ませんでした。全部親が考えてくれました。考え考えてもわたしが言うことは全て好戦的になってしまいました。

やはりまだまだだと思います。近視眼的。

それをエホバの証人以外に郵便屋さんや運送屋さん、ご近所さんが見るんだと思うと、頭を壁に打ち付けたくなります。ついでに釘を打てば良いか。違うか。

人目は気にしてられませんが、ほんっと嫌です。二枚に重ねて表側に「エホバの証人へ」と書こうかな。でもちゃんとあの人たちはめくって読んでくれるだろうか。そして内容が理解できるだろうか。

ご近所さんはきっと、特に近所のクリスチャンたちがどう反応されるか、一か八か的な気持ちです。興味を持たれる方はチラッとでも見られるでしょう。仕方が無い。それでエホバの証人以外から何か言って来られても、多分「ちょっと黙っといてくれる?!!それどころじゃねーんだよ!」と言うような気がします。気を付けるけど、そう言ってしまったら許してくれ。今から謝っておく。

感情が伝わらないよう、貼り紙をパソコンで打ちました。こんな準備したくない。頑張ります。頑張れ。いつやるかも分からんのに、なんだこの努力。どうかどうか無駄な努力になりますように。もう排斥された人の気持ちを今解ろうとするから会衆の解散にして、スローフェードアウトしたいけれど、なんとなく、いずれ手紙を出して酷い目に遭う予感がする。なぜかは分かりません。やって初めて解ることがある。そうなったら受け入れるしか無いです。