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あなたのライブに行かないと決めた日



 思っていたよりもずっとかなしくて、かなしくてかなしくて、悲しみ過ぎるなんてことなくて、そうして、かなしいままの自分で、幸せにふれた日のこと。


 3月17日。Snow Manのコンサートツアー中止の発表がありました。仕事を終えたばかりでまだ熱を持った肺に、冷たい空気を取り込みながら、そうか〜そっか〜って、ゆっくり、何回も、その文章を読んだよ。うなずけてはいなかったかもしれないなあ。中止になることをすこしも考えていなかったわけではなかったし、会場が使えないっていうのも知っていたけれど、それでもなぜか延期になるとばかり思っていて。だってデビューツアーだから、とくべつで、まさかなくなることはないんだろうなって。だから、中止になったこと、めちゃくちゃかなしかった。だれにもどうしようもないことだけど、泣きたくなってしまった。でもたぶん「悲しまないで」とは言わない気がして、きっと「俺も悲しい」って言ってちょっとだけ泣いたりするんだろうなって、わたしのすきなひとはそういうひとで。わたしも、かなしみをちゃんと自分で受けとめなければいけないな、と、思った。夜の片隅で、このかなしみを怒りや憎しみに変えてしまうことがないように、ただかなしいまま眠ることに決めた。かなしければかなしいほど、これがいらない感情だなんて思えなくて、Snow Manのことをすきだと思えた日でした。


 朝がきてもやっぱり、まだぜんぜんかなしくて、悲しみ過ぎることなんてないじゃんと逆に笑えてしまったりして、かなしくてかなしくて。ただ、わたしのかなしさは、中止になったことだけが理由ではないことにもはっきりと気付いていたんだけど。


 開催されるのかどうなのかがなかなか発表されなくて、不安がとうに限界をこえたころ、延期の予感を持っていたとしても、開催されるかもしれない未来のことも考え始めなければいけなくて。もう後回しにはできないところまで迫っていたから。なにもなければもちろんそれを願っていた、"開催されたとき"を、考えて考えて、そうして、わたしね、たぶん、行かないことをえらぶ、のだろうな、って感じていたんだよね。どうしてもはっきりとは決めてしまえなくて、チケットをどうするとか空席を作るつもりなのかとかそういうところにはまだまだ辿りつけないくらいの、もう、とてもとてもかすかな、あわい気持ちが浮かんだ、という程度でしかなかったけれど。なんならほんとうにそうなっていたとしたら、当日の朝まで悩んでいたんじゃないかな(笑)その気持ちを認識しはじめてすぐに公式発表があったから、結局は生まれなかった未来なんだけど。


 どちらかを選ばないといけないとき、わたしは、最後には自分の生活をえらぶんだなあって、自分でも初めて気付いてしまって、意外、意外だったのかな、どうだろうな、でもだんだんとそれがおおらかに色付いているのは感じていたのかもしれないな。ほんの前までのわたしといえば、生活度外視で、なにがなんでもライブのために生きていて、大阪から帰ってそのままむりやり仕事へ行ってつぎの朝には東京にいるなんてこともよくあったし、週末に地元にいることがゆるせない時期もあったね(笑)それはそれで、あの頃のわたしで、とても楽しかったんだけれど。そういうのがあったから、今回、改めて時間をかけて見つめたときに、ライブに行かないっていう選択肢がある自分に出会ってしまって、ぼんやりとでもね。当選した日、あんっなにもうれしかったこと、わすれていないのに。ああわたし、とても薄情だな〜と思った。正式に中止が決まってからも、この感情の動きはきちんとわたしの胸のうちに残っていて。一度生まれた気持ちはなかったことにはならないね。自分が目黒くんをえらばなかったこと、それが、なによりもいちばん、かなしかったんだと思う。


 その日の夜にはすの日常に全員からのコメントがアップされて、だれよりもみんなが楽しみにしていたこと、くやしささみしさも伝わったし、でも元気だからねって、知っているなかでいちばんやさしい力で、もうすでにつぎの未来へ踏み出している、そんなSnow Manが、だいすきだなあと思った。「手洗い。うがい。むかい。」それから毎日ぜっったい欠かしていないし、「中止という言葉にとらわれすぎずに待ってて」いつか見る景色もいつか聞く音も、今から楽しみでしょうがなくなった。受け取ったからにはみんなの言葉のなかですごしていきたいなあと思うよ、ありがとう。


 そうして、わたし、また、目黒くんの言葉に手をとってもらってしまいました。目黒くんの言葉の力で、ページが容赦なくかがやいて見えた。なんでこんなに、体温を移すみたいに、読み聞かせるみたいに、書けるの。どこまでやさしくなるの。ほんとうにすごい。このさきも何回でもだいすきだと思う。

 「今はしないことが正解だと思いました」たったひとこと、それだけでなにかが解決してしまうことがあるんだね。今のわたしの選択も正解にしてもらえたみたいに感じたのもあるし、あと、ちゃんと考えて考えて出した答えなら、ここではすべて正解(に自分でしていけるもの)なんだ、そう思っていいんだっていう前向きさに救われました。自分のための選択は、どこまでも自分勝手に、自分によって信じられているべきだね。

 目黒くんに出会ってから、自分の生活がとても楽しくなってね。それは「いつか俺から離れたときに」とか「さむくなってきたからあったかくしてね」とか、そしてなによりも、「みんなも幸せに生きてね」っていう言葉をもらったからっていうのが大きいんだけど。その言葉たちがくれた幸せに気付く力を、自分のために惜しみなく使って、ちゃんと幸せな自分で目黒くんのことを応援したいっていうのがいつも傍にあったし、だからなんだろうなあ、今回のこと、ライブだけを見ていたなら自分の責任で行くことに決めていたかもしれないけど、もしもがあったときに自分や周りのひとの生活を壊してしまうかもしれないっていう可能性も同時に見えていて、どうしても怖かったし、そうなったらもう幸せな気持ちだけでは応援できないかもしれないって思ったから。自分の生活が、となりにいる人たちが、どうしようもなく愛おしくなってしまっていて、無自覚ではいられなかった。それで良かったと思ってる、思っています。たぶん、わたしは、目黒くんをえらばなかったわけじゃなくて、目黒くんの言葉をえらんだ、これから先もえらんでいくんだろうなって思えた。とびきりに信じているので。かなしいくらい「逢えない時間が愛育てる」を実感しました。たくさん準備したけどぜんぶ楽しかったから、むだになんてなっていないよ、おなじだね。


 思っていたよりもずっとかなしくて、かなしくてかなしくて、悲しみ過ぎるなんてことなくて、そうして、かなしいままでも、目をつぶればいつも目黒くんの言葉がいてくれて。もう泣いてはいないよ。2020年3月21日、会えなかったけど、会いたかったけど!!それでもやっぱり幸せでした。

 目黒蓮さん。あなたのライブに行かないと決めた日、それでもわたしは、あなたに出会えてよかったと、心からそう思いました。ありがとう。

いつかまたね。

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