今出舞という女優をフラットに2024

今出舞という女優について、約9年(?!)観続けました。行けない以外はほとんどの作品を観ました。

初めて観たときは正直ピンと来なかった。その時は色んな事情があったから。
そこから約1年の時を経て、ボクラ団義さんの「時をかける206号室」
今でも忘れない。リピート観劇で最前列に座って観た今出舞の表情。いや、その時は「栞」でした。自分が知ってる薄っぺらい今出舞の印象を覆しました。
なんでこんな表情できるんだろ?とか、シンプルに魅力に感じたんだろうなと思います。

でも今観ると演技もだいぶ違うな。と。
多分掴みどころのない、ミステリアスというか不思議な存在がこの時の今出舞にピッタリだったんだろうと思います。

#あり今2024 だと深みが出てきたかな?感情や声の起伏のグラフがくっきり見えていました。


あり今2024の福永寿子

今出舞の何がいいのか。今回VIP特典のスイッチング配信と冒頭20分の衣装付き稽古を見比べてみる。

衣装付き通しは、バディである工藤薫のキャラが公演期間よりも落ち着いているというか、表に感情を出していないので少し印象が違いますが、
「1回考えなよ、面接官」

この言葉の言い方が若干違う。
衣装付き通しの方が若干声が高い。若い印象でしたが、本番期間は少し落ち着きのある声。
前者が高校やアイドルの先輩、後者が社会に出たときの20代後半先輩感がありました。おそらく福永寿子という役で、工藤薫と向き合う中でチューニングが合ったのでしょう。
前者はまだ上滑り感があるというか、若々しくいる今出舞が出てる感じ。後者は今出舞を少し殺して福永寿子になった感じ。

そして、個人的に今出舞が凄いと思ったところが2つありました。今まで見逃していたところ。

1つ目は、表情。
「当たり前じゃね?」と思うかもしれませんが、当たり前じゃないのが本当に怖い。
良いと思った表情は3つ
フットサルのシーン、奈々佳の手紙を読むシーン、そして面接を受けているシーン。
フットサルは、いつもの今出舞に近いリラックスした感じで歳下男性に接してるイメージですが、その表情の豊かさ。

敢えて薫を見ない
くだらないことを話してるっていう眉間に皺の寄った表情
バカ話の最中。表情の豊かさが、相手に安心感を与えている。
悲しさがふいに出る。この表情のリンクが次に繋がる

頼れる先輩というか、「一緒にいたい人」というオーラ。いつもの今出舞もエンターテイナー気質で一緒にいたいと思わせる人だと思うのですが、それを仕組み化して自在に引き出している印象。福永寿子は今出の当て書きが多いそうですが、ことこのシーンに関しては今出の「一緒にいたい」というオーラ感が違う形で表現されています。

普段の今出舞の感じは天性のセンスに近い。反面寿子の表情はお手本どおりでまるで仕組み化されたよう。(源田壮亮の守備のよう)
お手本通りを突き詰めた滑らかな表情の変化だと思います。

そして少し飛んで面接のシーン
ここは、過去の不安を抱えている寿子。後ほどシーンについては細かく書きますが、髪の毛の色について、「話さなくていいよ」という上司の関谷忍の言葉。(私個人は至高の一言)
それを受けてのこの表情

動きで見れば分かりますが、不安+予想外の言葉に困惑

この表情、絶対にフットサルの時の表情にリンクしなきゃいけない。なぜならここに寿子の本質が含まれているから。別人ではないのです。

この悲しい顔ができるから、きっと自分は「寿子が急にいなくなっちゃうかも」という不安を抱えるのだと思います。

そして、奈々佳の手紙を読むシーン

ここは奈々佳にフィーチャーされがちですが、ふとみるとすごく大人っぽい表情。これは狙ったものではないかもしれませんが、先の2つとは違う表情。

少し大人びた無声芝居の表情

ポイントは、全部の表情が滑らかに入るところです。以前書いた記事だと起用がゆえに器用貧乏に映る。と書きました。理由が少しわかりました。
キャラが定まっていない、雑コラのような感情詰め込みキャラでコメディを演じさせたら、それは演技というベースがないコント。(ダウ90000の件があって、ここの線引きが難しい)

例えば今回も、フットサルで筋肉痛からなんのクッションもなく薫が「手紙が置いてあったんです」って手渡したら、やっぱり変。
アイスブレイク的な「奥さんに何か言われたでしょ」「溢れてるよ、奥さんへの愛」という少し助走があったから、上記の表情が映える。


2つ目が、感情と声のリンク

面接のシーンに戻ります。こと今出は「シリアスが得意」と言い続けていますが、そこに「なぜ」を乗せてみました。前述の表情の仕組み化に近いです。
そのひとつが、台本と言葉のリンクが強いこと。感情の出る言葉が強いこと。でした。
髪の毛の色については吐露しているところで、涙溢れるシーンがいくつかあります。そのトリガーが行動ではなくて自分自身の言葉であることが普通のお芝居と大きく違うところ。
誰かが死んで悲しい、戦ってて悲しい、同情して悲しい。ではなく、「思い出して悲しい」なのです。
母親と一緒の色と言う時は気丈に振る舞い
周りの人にとやかく言われたところでは我慢して、「どうしてだろう」という自分自身への問いかけの悲しさを思い出しながら悲しさが込み上げてくる。
言われて悲しいではなくて、言われる不条理に抗う自分が悲しい。これが伝わるのはこの演技なのだと思います。ここは一貫してて、その後も「その髪はダメ」と言われることよりも、「面接で落ちた」「法律で決まってないのに」がトリガーとなりました。(ここのつなぎ方も、涙を堪えつつ、気丈に振る舞う演技は素敵だと思いました)

今まで自分は演技の上手い下手を語るほど理論はなかったのですが、多分ここは演技の上手い下手が明確に関わるところ。

ただ泣きながら悲しみながら喋ってるだけだと寿子の深みは出てこない。言われてるから泣いてるんじゃなくて、思い出して泣く。この感覚が理解できないなら寿子を演じることはできない。

泣くことってその時の感情移入や表情に左右されがちですが、トリガーの使い方ですね。言葉にできないだけで、こちらがちゃんと感情移入できるんだなと。

こういったシーンは他にあると思うので、今後もう少し観てみたいと思います。


課題?

逆に、今出の弱点(img演出も?)も俯瞰して見てみました。おそらく、声のトーンのチューニングが合わない部分が散見されること。そして前述の今出の武器は、今出をよーく見ないと気が付かない点。

奈々佳や薫に対する接し方。そこはまだ「今出舞でも福永寿子でもない何か」で、まだ今出舞as福永寿子を模索しているようでした。
板の下の今出舞もよく見ているからか、今出舞に心から相談した時の声の印象ってもっと深い気かまします。まだまだ突き詰められるんじゃないかな?って感じがするのです。

年齢や立場もあってか、それがまだチューニング中。声のトーンが半音~1音ズレてる感じ。いや、もう少し細かいかもしれない。言い方を選ばなければミスマッチかな?

だから、今出舞の良いところが、今出舞に相当フィーチャーしないと出てこない。多分同業の人は稽古とかでよーく見る機会が多いから評価される。
反面、今出推し以外の人が片手間に観ても「目立たない」とか「プロトタイプ」的な印象を与えてしまう部分はあるのかな?と。私自身も、スイッチング配信でよーく観て、ようやく言葉にできたくらい。

imgに限らず他作品でも、どこか上滑りするような役とのミスマッチがあるのもチューニングの仕方?なのかなと思いました。作品によっては顕著に現れていることもあるかもしれません。

できないわけではないです。私の要求レベルが高いだけかもしれないですし、先に貼った時をかける206号室に比べても格段に起伏があるし、別人に見える。

ただ、演技の中で目立つ部分や作風と、今出舞の良さとがミスマッチで損をしている。そんな気はします。
そもそも、面接シーンはバチコンとハマっているのです。日常シーンも別にそんなに気にはならない。


例えば今作だと奈々佳に面接で自分が採用したのが自分だと説明するシーン。この時はどこか上手く話せてない感じ。少なくとも面接の時のようなフィット感はなかったかなと。

今までだと、こういった説明台詞系、諭す系の台詞、泣いているのを受け止めた時、1作品でいくつもの人格を演じた時はこの傾向が少しあるかなと。
だから雑コラのような詰め合わせシーンがしっくり来なかったのかもしれません。

まあそもそも、こんなのが全部上手な人は何人いるよってお話。そもそもこんな話が議題に上がることすらないレベルの人も沢山いるでしょうし。

ただ、それを検証する術もないのです。
的はずれな意見かもしれませんし、真意かもしれないし、もしかしたら目からウロコかもしれない。私の受け取り方が間違ってるだけかもしれない。

井の中の蛙

この一年、今出舞に頭を下げ、チケットも減らし、物販も買わず、彼女以外の舞台を役者を沢山観ました。
今出舞という人の何が良いのか。
個人的には、所謂界隈の中だけで考えることに限界を感じての行動です。(それだけではないですが)

というのも、客観的な視点が完全に抜け落ちている感じがしました。推しは盲目といいますが、それがなんとなーく個人じゃなくて界隈単位で広まってるような疑問が生まれたのです。

そして色んな舞台を観た結果は、今出の方が上手だと感じる瞬間は多々ありました。言葉に出来ていなくとも、やっぱり舞台経験の多さや役へののめり込みでは大きな差があり、素人目にもわかる部分はたくさんありました。

確かに今出の方が上手いな。でも、それが言葉にできない。できないから結局「今出が好きだから褒めてる」に帰結してしまう。
それが嫌なので、noteで感想を書くようになりました。時には感想を直接伝えるという行為もしました。

書いてみて

今回、多分9年観て、初めて具体的に書きました。去年はまだ固まってなかった感じ。

普段ここが良かった!という所を書くことが多かったのですがね。そこが薄かった。結局は「いいこと言って喜ばれたい」のバイアスがかかってた気がします。

だから今回、いつもより深めに観る。
そして、どこか自分の中で感じていた違和感をクリアにしてみました。その結果が
「言葉の変化によって感情が出る」
「よーく見ないと良さが伝わらない」
「チューニング」
でした。

これが的はずれなのか、的確なのかは是非#あり今2024のスイッチング配信を購入いただき検証していただければと思います。(ゴマすり)

もちろん、たかだか8~9年観劇してるだけの、演出も脚本もやったことがない素人です。あくまでも「ナマステはこんな目線で見てたんだな」と思っていただければと思いますし、もっと今出舞を良くしたい、良いところを広めたいというものの一助になれば幸いです。

人によって感じ取り方は違います。
受け取るだけでもいいという人もいると思います。
ですが私は、自分なりの受け取り方を言葉にしたいと思いました。


ここまでしっかり読んだ方は、一緒に美味しいお酒が飲めると思います。

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