死ぬかもと思った話

人生で3回死にかけたことがある。

1回目は小学1年生のときに線路で遊んでいて轢かれかけた。
子供はすぐに自分から死ににくので

2回目は社会人2年目だが3年目だかのとき。
あれは仕事帰りだったかな、横浜から自宅まで結構距離があるので
「帰るのがめんどくさい」という気持ちが強すぎて死んだ方が楽かもなと考えてハッとなった。
「つらい」とか「くるしい」とか以上に「めんどくさい」とか「どうでもいい」が強くなったとき
こういうときに人って自殺するのかもなと思った日だった。
絶対に死にたくないし引くほど長生きしたいけど。


3回目は昨日だか一昨日だか
先日化粧水と乳液を購入したと思ったらどちらも化粧水だった。
好きな人と喧嘩したとか友達に悪口を言われたとか仕事で大きなミスをしたとかそういうなにか苦しい事件、出来事があった時ではなく、なんかこう・・・パワーがなくなったとき?
自分の中で完結するなにかがあったとき

自分の中でなにかがぷつんと切れたとき

私の中ではムカつく!とか悲しい!とか苦しい!は他者に依存する感情で
他者への感情は私にとってのパワーである。良いものも悪いものも。
「どうでもいい」は自分の中だけの感情なのかもしれない。だから全ての責任とかこの後のこととかそういうことが考えられなくなって「死」が救済であるかもと錯覚する。
これが漠然とした死にたいという気持ちのメカニズムなのではないか。
家族や恋人など、守るべきものがないので、「死にたい!」という欲求より「まあいっか」という無気力さが勝ったとき人間は死んじゃうんじゃないかな。

まあ私は真空ジェシカがM-1で優勝するのは見たいなという気持ちで全然思いとどまったんですけどね。
人の命を救う川北茂澄すごすぎる、ほらやっぱここでも私の意思は他者に握られてしまっている。

いや〜〜今ヤバかったな、と横浜ぶりに思った。
早朝つるとんたんに誘ってもらってなかったらかなり危なかった。あとM-1後だったら危なかったかも
みんな冬季鬱には気をつけろよ


ってかこのまえ1時間2万円する占いに行ったけど
パワーが強すぎて何も心配していないと言われた、誰かから心配されたかったのに。
占い師「やる気とめんどくさがりが同じくらいあるから自分のためだけの頑張れないんだよね
自分のためにやると困るのは自分だから一生なにもしないんだよね、誰かのためにしか頑張れないめんどくさいタイプだ」
私「それはそう、それより恋バナしたいんですけど」
占い師「もっと大切な話がしたいので少しだけですよ、良いことないから」
こちらからなにも話していないのにこれはすごい、時代はスピ


真空ジェシカのことマジでだいすきだな

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