日記: じいちゃんが眠っていた
じいちゃんが私を忘れてから3年、意識を失ってから半年がたった。
硬直した手首を胸元にぴったりくっつけている姿はティラノサウルスみたいだった。
自力で閉じることのできない開けっ放しの口を覗き込むと、舌の上にからからに乾いた結晶塩のようなものがこびりついていた。
枕もとでクラシックギターの静かな曲を3曲流し病室を後にした。
流している間かちかちになってしまった右手をそっと撫でた。
もしかしたら、幸せな夢をずっと見ているのかもしれない。
少年の日に戻って母親のひざ元でまどろんでいるのかもしれない。
兄弟に囲まれて野山をかけているのかもしれない。
幼い私の父を抱いて微笑んでいるのかもしれない。
クラシックギターの調べが流れる間、からからの口にそっと父がマスクをかぶせようとする。
じいちゃんにとってマスクは、カラカラの口元を覆ってくれるありがたいものなのか、息苦しさを増長させるうとましいものなのか。
それすらもうわからない。
うめき声みたいな嗚咽に意思が含まれているのかもわからない。
他人の境遇を勝手に「かわいそう」と決めるのは暴力だ、と心がけようとする。じいちゃんは幸せな夢を見ているのかもしれないんだから。
でも、カラカラの口をぽっかり開け続けるじいちゃんを見ると考えるより先に涙が出そうになる。
出そうになるけど出ない、出したいけど出してはいけないような涙を奥の方のところで留めておく。
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