逃げられないという当たり前のこと
人生の転機というものを書きだすなら間違いなく一人でアメリカに行ったことを挙げる
その頃の私は自分のことも、自分の置かれている状況も、何もかもいやでいやでしょうがなかった
失恋して辛かったしそのような状況を招いた自分の行動や浅はかさが憎たらしくて仕方なかった
その一方で誰かに強く自分自身を認め、愛してもらい、支えてもらいたかった
誰かに愛してもらうに足る自分になりたくて、浅はかで愚かな自分を変えたくて
毎晩一生懸命英語を勉強して、数式を書きなぐったりしていた
アメリカに行って一流の研究者に会って自分の研究についてコメントをもらって
アメリカの研究者との人脈を作って帰ることができれば自分がそれまでとは違う優秀な人間に生まれ変われる気がして一生懸命だった
実際にアメリカに行くとあれだけ練習した英語は全然通じなくて
毎日ネイティブの研究者に話しかけられても聞き取るのに精いっぱいでジョークの一つも言えなかった
言ってしまえば、ただそこに存在して一日を過ごすだけでいっぱいいっぱいという状況だった
でも、そうやっていっぱいいっぱいになりながら生き延びた一日の終わりに、大学のそばにあるアイスクリーム屋さんに寄ってチョコレートとストロベリーのダブルのアイスクリームを食べるのは、ただ存在していただけの自分を祝福する、とても相応しい行為のような気がした.
自分が存在していたというただそれだけのことがアイスクリームを食べるにふさわしいと感じられることがすごく新鮮だった
私はそれまで、暇さえあれば自分を非難し罰する理由をずっと探していた
「あの時あんなこと言わなければ失恋せずに済んだのに」
「今こうやって努力できていないから私はみなより成功していないんだ」
という具合に休日街を歩いているときもその実頭の中では自分で自分をいたぶるのに一生懸命だった
英語をペラペラにしゃべれるようになって、海外の研究者とコネクションを作れたら、罰や非難に値しない立派な人間になれるはずだ、と思っていた
結局、自分で自分を信じたり、自分のやってることを否定しないで生きてく強さがほしかっただけで、英語を喋って体の大きな海外の人たちと対等にやりあってく能力が欲しかったわけじゃなかったのだ
そんなことに気づくのに英会話教室に通ったり英語で履歴書を書いたりして飛行機に20時間のってここにたどり着くまで気づけなかった
地球上のどこに行こうと神様の目から逃れられようとも、自分自身からは逃げられないという当たり前のことにやっと気づいた
自分で自分のことを罰し非難することで自分自身やその状況から逃れたくてたまらなかったんだとやっとわかった
そんな日々の終わりころに、アイスクリームを食べながら木陰で風を浴びていると赦されているという感覚で心がいっぱいになった
日本に戻ると相変わらず私は失恋したての女の子で、元恋人には相手にされず、英語も満足に使いこなせず、有益な海外の人脈もなかったけれど
私は明らかに、アイスクリームを食べる前の自分とは異なっていた
これが私の転機だ
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