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仕事について(AIへの炎)

 公共広告機構のCMで「AI技術が発展しており今後我々の仕事はAIが担う時代となります。不安もあるかもしれませんが未来には可能性があるとも言えます。子どもたちの未来の仕事はまだ見ぬ白紙です(なにか光に包まれるエフェクト)」みたいなことを言っているのを見て本当に勘弁してくれと思う。子どもがYouTuberを目指してはいけない。人は自由でなんにでもなれるが、子どもがYouTuberを目指してはいけない。AIについて。仕事をするのは仕方ない、もう諦めました。上手く働けばほどほどのちょうどいいストレスを得られて急死とかへの恐怖も少し和らぐわけだし仕事自体は許してやろうと思う。しかしながらそうやって仕方なく細々やっていこうと思ってたところにあなたの仕事はAIで代替できますと言われたらROMってろカスとでも言いたくなるものだ。特にAI推進派の便利教の教徒なんかは、これまで苦しんでいた単純作業をAIに任せられるうえに指示すれば創作のアウトプットまで誰もが可能となる便利な世の中になるのに何が悪いの?と黒目だけの眼で見てくるものだからROMってろカスとでも言いたくなる。逆に聞きたいのだが(私が書いたのだが)便利になったからそれがなんなのだろうか。スマホがカメラや録音機材、ノートやタイマー時計、さまざまな物体、隠すべきでもない秘密、言葉にしない約束、無意味な時間などを奪ってからなにか良いことがあっただろうか。こういうことを書くと加速主義でない保守派(老害派つまり懐古主義)のようなルートへ合流させられる気がするが私の脚はつまさきが地面にめり込んでおりテコでも動かずファミコンのケーブルで両目を隠しているので叫ぶのみだ。

 私の現在の仕事はもうど真ん中でAIに奪われる仕事で、実際奪われたらそのAIは私の完全上位互換みたくなると思う。しかし別に私は私の仕事を奪うなと言いたいわけではなく、そんなつまらないものが私の生活に介入しないでくれと思う。とりあえずAIで遊んでみました、AIで技術の過程を楽しんでますみたいな姿勢の奴にもむかつくし!感覚が自由で速くてよござんしたね!!一人で勝手に学習されてろ!!!いいよなウェブコンテンツ自分を大衆視アイデア入力側のインプット人間はよ!!!!俺から仕事を奪うな!!!!!仕事をよこせ!!!!!どけ!!!!!!(花売りの差し出した花を地面に叩きつける)


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