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鮮明でないものについて

 鮮明でない状態のほうが好ましく思う。学生服を着ていたぐらい遠い昔、友人が「『ブラジル』というタイトルで、内容は全然意味がわからないけどとにかく凄い映画を見た」と興奮しながら教えてくれたことがある。国名をタイトルにするのはなんだか面白いし、そのうえで全然意味がわからない展開って、夢をテープに焼くことに成功したようにも感じてそれはたしかに凄いものだぞと思った。しかし私は当時なんでかその『ブラジル』を観なかった。それから数年経ち、『ブラジル』が『未来世紀ブラジル』であることがわかった。

 『未来世紀ブラジル』はモンティパイソンのテリーギリアムが監督というのもあってたしかに変な話で映像も面白く、ついでに主人公の見る夢がシナリオの起点になってたりする。ただなんというか、私が友人から聞いた『ブラジル』はもっとわけがわからなくて筋がなく、秩序や社会道徳やメッセージが存在しない、夢を表現しようとしない、まさしく夢のような映画だったはずなのにと思った。実際に観たのも結構昔なので詳しくは説明できないが、ともかく『未来世紀ブラジル』よりも、友人が興奮してわけがわからないんだよナオちゃん!(私はナオヤという)と評していた『ブラジル』のほうが凄かった。もっと言えば映画じゃないぐらいに思っていた。

 まあそんだけ私の感性が鋭かったんすわと言うのは簡単だが、こういった、作品そのものではなくその周りに飛び散るインクの色や形(それが本体のような気もする)に言及する言葉は昔から大好きで、いわゆるこの構図はこの監督特有のなんたらでつまりなになにを表していてみたいな評が本当にだからなんなんだよとなる。技術やメッセージを形にすることは大したもので自分がそういうところから何かを読み取る力がないだけなのだが、そういうわけなので私に何かをお勧めしてくれる際にはできる限り興奮したうえで全然意味わからなかったけど凄かったみたいな言葉で釣ってくれるととても助かります!(アンパンマンが集中線の中で両手両足を広げている)

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