真の慈悲があるのなら

 地橋秀雄著の「ブッダの瞑想法」を読んだ。いわゆるヴィパッサナー瞑想について書いてある本だ。瞑想は昨今ブーム(もう下火かな?)になっていると思うけど、それに大分先んじている本だ。初版が2006年。他にも瞑想の本を読んでいたから、すごく真新しいものはないが、こっちのほうが先人なんだな。

 とっても分かりやすく書かれていると思うが、ひとつ、脇道に逸れたところで気になることを書こうと思う。

 それは慈悲の瞑想について書かれている部分だ。慈悲の瞑想は他人の幸せを願う瞑想で、心の反応系を書き換えるためのものだ。

 それを紹介する冒頭に、蚊のエピソードが出てくる。筆者がタイで慈悲の瞑想をしていたとき、蚊が飛んできた。すると蚊は近くには寄ってくるが、なんらかのオーラが出ているかのように、筆者に近寄ることができなかった。筆者の集中がふっと切れた瞬間、蚊は見計らったかのように、筆者の体に身を下ろし、血を吸い出したとのこと。

 すぐ出てくるツッコミはなんかオカルティックじゃないか、というものだろう。もちろんそれもあるが、僕は慈悲の意味について疑問が出てきてしまう。

 慈悲とは他人の幸福を願うものだ。他人とは人だけでなく、全ての生きとし生けるもののことだ。もちろん蚊もその仲間だ。もし本当に蚊のことを思っているなら、どうぞ僕の血を吸ってください、ということにならないか?蚊を寄せ付けないのは、慈悲の面からいうと反するのではないか?重箱の隅を突くようなことの気もするが、気になってしまう。

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