小姑な子ども

 私は食にうるさい。小さな頃からそうだった。その片鱗は、幼稚園児の頃からあった。母はいつも朝食に、ご飯と目玉焼きを作ってくれていた。目玉焼きは、ベーコンやウインナーが一緒くたに焼かれていた。私にはその目玉焼きにたいして、どうも気になることがあったらしい。それは、卵の黄身の焼き加減にばらつきがあることだった。私はあるとき母に向かってこう言ったそうだ。「なんで今日はトロトロじゃないの?」と。
 正直、そう言ったことは記憶には残っていない。しかし、そのようなこだわりがあったことは漠然と覚えている。母曰く、この件を皮切りに、私は母の料理に対して様々な注文をつけたのだという。お米の炊き具合がどうの、味噌汁の出しがどうの。その語り口はのうるさい姑のようだったという。
 はじめは母も、ごめんねと言いながら聞き流していたが、ずっとケチをつけるものだから、遂に我慢の限界がきた。
 またいつものように何かのケチをつけたらしい。それがなんだっのかは、もう誰も覚えていない。しかし、母が烈火の如く怒り出したことは鮮明に覚えている。私の茶碗をやおらとりあげ、そのまま地面にたたきつけてしまったのだ。母は育児のストレスでだいぶ参っていたのだと今振り返ればわかる。母はそのことを、ことあるごとに悔いていた。
 それ以来、私はケチをつけることをやめた。母がそのことをそこまで嫌がっているとは、理解してなかったため、それまで小言を言っていただけなのだ。当時はそれが小言だということを、そもそも理解してなかったが。
 別に母を傷つけたくなかった私は、その出来事以来、文句を言うことをやめた。しかし、それをやめてしまうと、私が満足のいく食が無くなってしまう。
 そこで私は自ら料理をすることになった。これが私の人生の道筋を大きく決めたことになった。

 それ以来、私はあらゆる食に挑戦していった。探究の始まり、家にすでにあった、もう長年開かれた形跡のない、油汚れがこびりついた料理本であった。そのレシピを様々に真似ていった。
 私はすき焼きが特に大好物だったのだが、あの味が、酒・みりん・醤油を混ぜるだけで実現できることに驚いた。そらぞれ単体で味わってもそれほど美味しくないのに、これを適切に混ぜることで、これほど美味しくなるなんて。
 そのことに感動した私は、具材に関係なく、すき焼きの味付けで汁物をつくることがマイブームとなった。
 しかしずっと食べていると飽きてきてしまった。あんなに好きなものが少し嫌になるなんて、そのことにも当時驚いた。対して、目玉焼きは別に飽きないということに気がついたとき、なんたが世の中の真理に触れたような気がした。

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