見出し画像

🏝️自問自島 幻冬舎大学を聴講して

あきやあさみさんの新刊『「一セットの服」で自分を好きになる』刊行記念講座(幻冬舎大学)を聴講して考えたことを書いてみる。

ネタバレはしているのにあらすじは説明しないという不親切な感想ととりとめのない自分語りになった。


1 なりたい、好き、似合う、違和感

なりたいは、理性、痛みを伴っても骨に刻む、というお話は、ビビッときた。これをもとに考えれば、なりたいを自分で判断できる。好きは本能というのも腹にストンときた。

とりあえず、なりたい、好き、似合う、違和感を自分なりに定義してみた。

  • なりたいとは、自分の身体の中にいれて、手間や費用をかけても住まわせたいもの

  • 好きとは、自分の縄張りにいれて、見つめていたいもの、触れていたいもの

  • 似合うとは、自分の身体や縄張りに生まれたときからはいっているもの、追い出したくても追い出しきれないもの

  • 違和感とは、自分の身体はおろか、縄張りにも入れたくないもの、入れると追い出したくなるもの


2 「好き」と「なりたい」

好きとなりたいは重なりあう部分が多い。講座内でもどう見分ければいいかという質問が出た。たしかになと思ったので、あきやさんの答えを踏まえつつ、自分の場合どう考えたか書いてみた。あくまでわたしにとっての暫定の定義である。便宜上、その「好き」か「なりたい」(又は両方)の概念を以下Aとする。

まず、わたしにとっての「好き」かつ「なりたい」は、まず自分の身の回りにAがあってほしいし、自分の身体内にもAがあってほしい状態である。自分の周りを見渡せばAが目に入るところにあって、自分の身体内を覗き込んでもAがある。

そして、「好き」と重ならない「なりたい」は、Aを自分の中に定住させようと決意して、身体内に入れようとしていながら、Aが視界に入らなくても触れなくても構わない状態である。Aがちゃんと住んでいるかを確認するとき以外は、Aが見えるかどうかは頓着しない。

逆に、「なりたい」と重ならない「好き」はいわゆる、推しの部屋の壁のシミになって四六時中推しを眺めたいという表現が近い。自分がシミということは、推しの要素がまるでない存在である。だがそんなことはどうでもよくて、とにかく自分の目に推しを映すことを求めている。


3 色気

色気についての質問も出ていたから、こちらも自分なりの定義を考えてみた。

色気とは、身体の本能をくすぐる空気である。また、薄いカーテン越しにみえる官能が色気ともいえる。官能そのものの違いだけでなく、そのカーテンの色、模様の有無、薄さ、織り方のありようも色気のありようにかかわってくる。

なお、色気は「好き」で時々ちょっとだけ「なりたい」に入る。


Z 余談

好きは即答できると思っていたけど、以前はこじらせていたことをnoteの自ページ開けたら思い出した。


あと、好きなものもさらに思い出した。