60%

自分は、偏りがあるもののまあまあ好きなものは多い方だと思う。
物心ついたころからずっと好きなのは音楽。
5歳の頃には読んでいた漫画。
友達とよくやっていたゲーム。
歌って踊るアイドル。
人の話を聞くのが好きなのでラジオ。
最近は美味しいお菓子を食べるのも好き。

その全部に、100%でのめり込んだことがないなと思った。
もちろん、全部好き。超好き。本当好き。
でも、それに自分の人生を捧げるほど狂えたことがあるかというとそうではない。
全部ちょっとずつ好き。

音楽だったら、ライブは行くしCDも買う。けど、ライブ全通とか、CD全形態買うとかそんなことはない。
ゲームもランキング1位を目指すとか、トップランカーを目指そうとは思わない。
アイドルもそう。別に認知は欲しくない。そのためにお金を使うなら、別の趣味に回したい。

そういう風に思ってしまうから、全部が中途半端だと感じている。

何か一つに狂えない理由を考えたときに、2つあるなと思う。
1つはSNSやインターネット。ザックリ言えば、上には上がいることを思い知らされる場が増えた。
儂がどれだけ頑張っても、それを一途に愛している人間には到底敵わない。
そうなれないなら、頑張る意味がないじゃないと思う。
根源的に一番になりたいという思いはあるのだろうけど、そうなれないし、と思ってハナから挑まない。ある意味では逃げの姿勢だと思う。
それに、そうしたものに一心に向かい合った結果、壊れてしまった人も多々見たので、そうなっちゃだめだろというブレーキがかかっているのかも。これは防衛本能。

2つ目は、そもそもそういう風に趣味が多いので全部にお金をかけることが難しいことだと思う。
自分が将来を不安に思わないくらい稼いでいてうはうはだったら、全部に余りあるお金をつかうのだろうけど、そうではないので使える額が限られる。
となると、一つをがっつり楽しむより、全部をまんべんなくつまむのが一番いいのではないかと思う。
バイキングに行って、白飯だけガツガツ食うんじゃなくて、米も食うしクロワッサンも食うし、味噌汁も飲むし、ベーコンエッグも食う。そんな感じ。

あとはやっぱり、自分の人生を賭けてまで、人の人生や人が作ったものを応援する気にはなれない。
やっぱり、推しだって、好きな作品だって、あくまで自分の一部であって、自分の全てではない。
「その人が飯を食えないとお前は死にます」くらい言われたら頑張るだろうけど、そんな状況には陥らないだろう。
そう思うと、何かに一途に、専心に、ひたむきに、向き合い続ける人間は凄いと思う。
推しのイベントがあれば全国各地に飛び、推しのためなら全てを投げ打てる人間は凄い。最早お前がその推し自身なのではないか?

幸いなことに、好きになったものは比較的長く愛せている。
どれもこれも年単位で好きなこととして胸を張って言える。
よくある言説ではあるが、好きで居続けるには力を入れすぎないことが重要なのかもしれない。

だから、この文章を書く行為も、今は暇だから書いているけれど、気が向かなくなったらやめればいいし、気が向いたら書けばいいと思う。
だらだら60%くらいの力で、余裕を持ってやっていくのが一番気持ちいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?