英語

昨年エンゼルスでア・リーグのMVPに輝き、今年ドジャースに移籍した大谷翔平が27日、米ニューヨークで行われた全米野球記者協会主催の夕食会に招かれ新天地での活躍を誓った。約800人に関係者、ファンの前、黒いタキシード姿で行った2分6秒の話は全て英語、「自分のキャリアで新しいフェーズ(局面)を迎える事を心待ちしている」との流暢なスピーチに出席者から「アメージング(素晴らしい)」の声が飛んだ。

 新人王になった2019年にも招かれ謝辞を述べているが以来7年、語学力も格段上がっていた。その進歩が本業の上達にもかかわたのは大谷の年度の成績が物語るがメジャー入りした日本選手、英語に対するかかわりも色々で英語が全然だった事で苦しまなくて済んだ選手もいる。

 阪神からFAでヤンキースに移籍した井川慶がそうだった。阪神には平成9年ドラフト2位で入団。左投げの速球投手で4年目に14勝、5年目は20勝を記録チームの18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。その後3年連続10勝以上。そうした活躍が買われ、本人も望み19年(2007年)ヤンキースに5年契約20億円で移籍。その際阪神が得た譲渡金は30億円。ところが井川、ヤンキースではさっぱり。1年目は12試合に登板して2勝4敗、防御率6.25。翌年は1試合登板だけで防御率13.50。大金出してこのざま。球団もファンも怒り炸裂だった。

 翌年解雇は当然。その井川が先日大阪のテレビに出ていて「あの時はつらかったやろ」に「全然、英語が分からへんから何言われているかわからへんもの」と答えた。知らぬが仏とはこのこと。もっともヤンキースには「井川にやられた」伝説は今も残っていて阪神に信用はないといわれる。

 井川はヤンキース解雇の後オリックスの3年在籍7勝12敗で引退、今は独立リーグに所属プロ野球復帰を目指している。復帰が叶うとしたら阪神、ヤンキース、オリックスのどこか問うたら考えた末「オリックス、あそこは何でもしゃべれる。記事にならへんから」生計は不動産でたているという事だった。

令和6年1月31日

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