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写真の中で生きる私


写るということ。

それは
私の中でそんなに特別なことじゃなくて


写真の世界を少しでも広げられるなら
そこに写るという手段があるなら

写ってみるか、というだけのことでした。

それでもなんだか少し恥ずかしいから、知り合いには言ってないし見せてもなかったけれど。

大学を卒業し
春から社会人になるこのタイミングで

一旦、自分の中で区切りをつけようと思って、今noteを書いています。


大学入学とともにコロナ禍になり
大学に通い始めたのは、桜も散って、花火大会にもプールにも行けなかった夏も越して、木々の葉が赤や黄色に色づく頃。


高校では音楽をやっていたから
その延長で軽音学部に入ってはみたけれど

「私が4年間でやりたいことは本当に音楽かな?」
とだんだん思うようになり、半年ほどでやめた。
(短かったけど、楽しかった思い出はたくさんあるよ。)

どこにも所属していなくて
なんの目的もない自分というのが初めてで


ふわふわ
ぐらぐら


そんな時に、そばにあったのが写真でした。


きっかけはなんだったのか
もうあまり覚えてないけれど

高校生の頃から好きだった
写真の世界をもっと広げてみたい

という思いが、むくむくと湧き上がっていた大学1年生の冬。


私の中での写真の世界というのは
学校とかサークルとはちょっと違って

これまでずっと眺めてきた
もっともっと広い、画面の向こう側でした。

それが、写ることの始まり。

もともと高校生の頃のご縁で何度か写ることはあったから、カメラの前に立つことに対する高いハードルはなかったけど

カメラの前で、自由にありのままでいることは向いていないと、どこかで気づいていました。

だから、初めの頃はいつも
“また”があればいいなと
心のどこかで願っていた気がします。

私は、カメラの前でありのままでいることは向いていないけれど

出会いには本当に恵まれていて

“また”が連れてきてくれる新しい世界に
何度も救われていました。


大切な出会いが生んでくれた
大切な写真たちをお守りのように抱え

気づけばだんだんと道を歩けるようになって
過去を見つめることもなくなっていた
大学2年生。


でも、きっと長くはここに居ないだろうなとも思っていたから

今できることは悔いなくやっとこうって
私にしては珍しく行動していたのが大学3年生。

今思うと
ちょこっと遠くを見すぎてたかも。


それでも
交わるはずのなかったつながりが
今もそっと隣にあること




あの時行動してよかったなあと
思ってる



学生が終わって就職先が決まり
自分の未来について、前よりも少し解像度が上がって見える今を

つまらないと感じられることもあるかもしれないけれど

私は少し、肩の力を抜いて生きられるようになってきた気がします。

だから、写真の中で生きる私も
もう少し肩の力を抜いていきたい。


それが私の中での区切り。


節目節目に連絡し合えることや
たまに会ってお話しできること。

私はとても嬉しいなあと思ってます。

なんだか
このままさようなら!ってなりそうな流れだけど

そうじゃなくて。

カメラ片手にお散歩したり
カフェでお茶したり
パシャパシャ撮ったり、撮らなかったり。

そんなゆるりとした会でも良ければ
これからもぜひ、仲良くして下さい🌸


社会人、頑張ります!

撮ってくれた皆さん(順不同)

由さん
yuna.さん
めーぽんちゃん
あをちゃん
naokoさん
ヒマリさん
なつみ

(ここには載せきることのできなかった大切な写真がたくさんあります。これまで撮っていただいた皆さんありがとうございます🌸📷)

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