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私にとっての幸せ

最近は、「私にとっての幸せ」ってなんだろうって
ずっと考えてる。

誰かから見て「幸せそう」ではなくて、
「世間一般の共通認識に思える幸せ」じゃなくて、「私にとっての幸せ」。

思いついたことはこんなこと

・自分で作った温かく体に優しいものを食べるとき

・大切に育てている植木に、水をやるとき

・部屋のカーテンを見ていい部屋だなと思うとき
(家賃5万2,000円の、普通の部屋だ)

・抱き枕を抱いて、質のいい眠りに落ちる瞬間

・ジャズを聴きながらゆっくりする時

・部屋の好きなインテリアを眺める時

・鏡を見て顔がスッキリしてて可愛い時

・メイクが上手くできたとき

・お気に入りのファッションを身につけているとき

・家族や、実家の犬に会えたとき

・家族から急に連絡が来たとき

・すれ違った犬が散歩を楽しそうにしていて
可愛かったとき

・すれ違った子供がニコニコ手を振ってくれたとき

・1人でじっくり考え事ができるとき

・文章を書いているとき

・なんの心配もなく、お風呂や温泉に浸かるとき

・体を鍛えて、少し痩せてきたなぁと実感するとき

・お金が貯まってきた時

・欲しいものについての情報を探すとき

・美しい食器やアート、絵や写真をみた時

・ジブリのハウルの動く城を観たとき

・海外の美しい風景や建物をみた時

・美味しい和食やお肉を食べる時

・バイクで好きな速度で走って風を感じる時

・人の心を動かすような写真を撮ってもらった時 
(時々、趣味で被写体として写真を撮ってもらってる)

・コンビニで好きなお菓子があったとき

(RITZが好きだけど、最近はRITZの新作
チーズサンドしか売ってない)

・スーパーで好きなお惣菜が売っていたとき 


思いついたことを書いてみて、


私は、私を大切にしていることが幸せで
満たされるんだなと思った。


そして、ほんとうに些細なことで私は
幸せな気分になっているんだって。

ちなみに、私は寝る前に
「今日あった良かったこと」を探して
楽しい気分になることを習慣にしている。

よかったね!がんばったね!って
鏡に向かって笑顔で言う。

だから、いいこと探し、幸せ探しがとてもうまい。
素晴らしい 笑


そして、仕事上の付き合いや
たまにしか会わない友達との関係は
私にとっては、きっと なくてもいいんだろう。

人付き合いは苦手なのかもしれない。

私は、同い年の友達と集まっても
なんだか疲れてしまう。

聞きたくもない、
不平不満や愚痴、悪口を苦痛に感じてしまう。

1人になってから
部屋でホッとして、座ってしまうタイプだ。


そして、
コロナのおかげで私の価値観はガラッと変わった。

今までは、おしゃれな居酒屋にご飯に行ったり
おしゃれなカフェに行ったり、
友達との写真をSNSにあげることが大事だった。

いかに充実してキラキラしているかを
周りに、世間に見せることが大事だった。


だから、
彼氏をマッチングアプリで探したりもしていた。「恋愛は今は要らない」という本音にも気付けず。 

20代で彼氏いなきゃ、やばいよね。寂しいよね
っていう見栄や虚栄、

ありもしない他人の目に振り回されて。

でも、そんなこと本当にどうでも良くなった。

周りってなんだろう、世間ってなんだろう。
そんな不安定なものに振り回されるのは嫌だ。


みんなに愛されて評価されているような俳優でも、

誰かにとっては見たくないくらい嫌悪されて、
誰かにとっては敵だ。

他人の意見や考え方なんて人それぞれだし、
しかもコロコロ変わる。


それよりも、人生は一度きり。

いつ終わってしまうかも分からない。
コロナで若者だって重症化している。


他人の目や世間体を気にせずに、
私にとっての幸せを大切にしようと決めた。


他人の目を気にして、他人の期待に応えるのはやめよう。他人の人生を生きるのはやめようと思った。

「私にとっての幸せ」リストは
これから 増えたり減ったり訂正したりするだろう。

それでいい。

25歳の私はこれからも、
私にとっての幸せを大切にして生きていく。

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