2015 3/11 「           」


3/11という日付を記した以上、あの日に触れないわけにはいかないよな。

あの日以来、実は僕らはTVを見るのを一切やめてしまった。
石垣島に来るときに専用の受像機(いわゆるTV)は捨ててしまったので、ほとんど見てはいなかったものの、パソコンはアンテナをつけて観れる状態にしていたし、気になる番組は録画などもしていた。パソコンはその少し前から店に置いていたので、だからその日の映像も店で見たはず。

最初にネットで知って、慌ててTVをつけて、津波に街が車が人が飲み込まれていく様をリアルタイムで観続けて、「これはいかん」と思った。

眼前に流れていく映像に単純に恐怖したというのもある。この先どうなるのかという不安に耐えられなくなったというのもある。
でも何より、目の前のこの映像を僕自身がどんどん受け入れてしまっていることにこそ恐怖と不安があった。

石垣島はそこからあまりに遠く、あまりに平和だった。
地続きでない、遠く海を隔てた場所というだけで、いつの間にか遠い国の出来事のように、波にのまれすべてが無に帰していく光景を漫然と眺めていた。
その前の年にこの島に居を構え何事もない毎日を送れることに、心底安堵していた。


そして僕はTVを消した。
と同時に僕はそのことに目を瞑ってしまったのだと思う。

ネットでは膨大な情報が飛び交い、それは否応なく僕の意識をそこに釘付けていたし、その時に心も頭もそのことでいっぱいだったのは確かだ。日本人すべてがそれは同じだったろう。でもそのことはあまりに巨大すぎて、僕の想像力はとても太刀打ちできなかった。
どうなったのか、どうなるのか、どうすればいいのか。
なにひとつわからなかったし、なにもできなかった。
だから僕は目を瞑った。
多分、そのころSNSを通じて何か訳知りのようなことをつぶやいたかもしれない。あるいは幾許かの寄付もしただろう。でもそれは何もわからない、何もできない自分への罪悪感の裏返しにしか過ぎない。それは自分でもよくわかっていた。
結局僕は目を瞑った。

以来僕はそのことについて目を閉じたままだ。かっこつけてるわけじゃない。開き直ってるわけでもない。正直にいってそのことを自分の中にうまく意味付けられないのだ。そのことに、少しばかりの後ろめたさはある。


だからせめて、今日くらいは、一度目を開き、改めて目を瞑ろうと思う。
あの日、東北大震災で失われてしまったものと、失いつつあるものと、回復されたものと、回復されつつあるものすべてのことに思いを馳せて。

そして自分の中の未だ正体の掴めない後ろめたさを慰めるために。

黙祷。

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