ハイバイ「投げられやすい石」

ハイバイ「投げられやすい石」@東京芸術劇場シアターイースト

久しぶりの観劇。というか1人での外出も久しぶり。
池袋はもっと久しぶりで、なんだかきれいな公園ができててびっくりした。

ハイバイは映像で見たことはあるけど、生で見るのは初めて。
しっかりと目に焼き付けた。

美大生時代に「天才じゃ天才じゃ」と言われた「佐藤」と、その友人のいたって凡人な「山田」。ある日、佐藤が忽然と姿を消す。「海外に修行に行った」「あまりの芸術性の高さに発狂した」などの憶測が飛び交い、時だけが過ぎた。
そして2年後のある日、突如山田は佐藤に呼び出される。
「会って、話したいことがある」
受話器越しのかすれた声に、不安にかられる山田。約束の場所に着くとそこには変わり果てた佐藤の姿。逃げ出したくなる山田を、佐藤の暗い瞳が捉えた。

ヒリヒリする展開と会話、どうにもならない苦しさが充満する。
全然笑える状況じゃないのに、突然笑いの要素が差し込まれてそれで笑ってしまうの、不思議だけど現実でもあるな、と思った。
大きな塊をぶつけられたような舞台だった。見て良かった。
見終わった後も登場人物のことをいろいろ考えてしまったので、それぞれについて書いてみる。

佐藤について。
私は名前に「芸術」が入っている大学に通っていた。
芸大・美大とは違ってガチガチに才能が物を言う世界ではなかったが、
それでも作品を作って発表する機会はたくさんあり、学生の中で批評もされて、みんなが崇めるような人もいた。
佐藤もそんな人だったのだろうと思う。
才能がある人の気持ちについては私は才能が無いのでわからないが、
と書きながら思ったが、「才能がある」ということで心の有り様まで他の人とまるっきり違う、なんてことはあるんだろうか?
きっと才能があるから心も強いなんてことはなく、他の人と同じようにわかって欲しいと思ったり、さみしさから強がってみたりするんだろう。
才能がある人ってとにかく孤独だ。
佐藤が山田に「とにかく描け」と言い続けるのは、山田の才能を認めているからだけじゃなくて、「自分と同じ場所に居てほしい」という理由もあるんじゃないだろうか。
そう考えると、山田だけじゃなくて(才能が無いと思っている)美紀も展覧会に出させたことの説明がつく。
そもそも孤独だった佐藤が病気で更に孤独になり、最後の希望を持ってかつての友人に会いに来る。
そしてそうすることで更に孤独を深めてしまうという救いの無さ。
佐藤の才能の描写が「5年に1人くらいの才能」というのもまた絶妙だった。
5年に1人くらいだから、学校の外に出たらきっとそこらへんにごろごろいる才能で、それでも学校の中ではヒーローになれる。
最初の失踪はそのあたりの折り合いのつかなさにも原因があるのかもしれない。
それでも制作を続けていたのは佐藤だけだった。それは救いだと思う。

山田について。
たぶん一番見ている人が共感しやすい、普通の人。
発言権がある人に褒められることで、周りに認めらてれいる人。
山田自身も自分が佐藤の影響下にあることを自覚しているので、佐藤がいない状況では描き続けることができない。
山田が本当に才能があるのか、佐藤がいなくても描き続けていたらどこかで評価される時が来るのか、それはわからない。
わからないが、「続けられなかった」ということが全てなのだと思う。
かつて尊敬していた友人の変わりように戸惑いながら、でも優しくしたい、優しくしようとするあまりに気を遣いすぎて裏目に出たりするの、わかりすぎで辛い。
でも表面上の優しさを見せつつ、美紀に「早く帰ろう」と促したりするような冷たさもあり、それも普通の人、みんな持ってる残酷さだよな、と思う。
でも、カラオケで佐藤に問われた山田の答えは、誰にでも言えることじゃない。それだけ山田にとっての佐藤は特別だったんだろう。
勝手な願いだけど、山田がまた描けるようになればいいと思った。
誰かに言われたからじゃなく、自分だけのために。

美紀について。
美紀はたぶん、本当に心の優しい人。
あまり人の悪意を感じることができないのか、気が弱いだけなのか・・・
でも佐藤からもらった手紙をいい方に解釈し、しかも勝手にいなくなった佐藤に対し自分が悪いような言い方をしているのを見ると、やはり前者ではないかと思う。
佐藤が美紀と山田に「俺の言う通りにすればいいから」と言うシーンがあるが、美紀にはもっと普段から支配的に接していたのだろう。
「もっと優しくしとけば・・・」のようなセリフもあった。
でも美紀はおそらく、それに気付いていない、または佐藤に対する尊敬があったからそれを受け入れていた、のどちらかだと思う。
カラオケのシーン、なぜ佐藤に対してノーを言わないんだ!とじりじりする自分がいたが、はたと自分事として考えた時、あの場面で拒めるか、と言われると無理なような気がする。
かつて尊敬もしていて好きだった人、いなくなっただけで嫌いになったわけではない、久しぶりの再会での変わり果てた姿、弱っておかしくなってしまっている相手、また生きて会えるのかわからない・・・
愛情、恨み、戸惑い、理性、山田への気持ち、恐怖、憐憫、いろんな気持ちが混ざり合った緊張感の中、最後にとってしまう行動になんとも言えないおかしみと、人生の悲哀みたいなものを感じた。

いやだなぁ、と思いながらそちらに突き進んでいくしかない、そんな場面が人生にはあって(ない人もいるかもしれないけれど至るところにある)、そこにはどうしようもない程の愛しさがある。
最悪だ、とつぶやきながらも容赦なく時は進む。
そういう現実をまざまざと見せつけてくる舞台だった。

帰り道にラジオを聴いたら一気に現実に引き戻された。
ラジオは圧倒的な日常だ。

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