言葉に出来ない

どうも、ナカです。

GWも折り返しに差し掛かろうとしている今日の良き日、いかがお過ごしでしょうか?

配偶者の実家でラクだなーと思いつつも若干の肩身の狭い想いをしている方も、そうでない方も、ご安心下さい。

実家に帰っていなくても肩身の狭い想いをしている男がここにいます。


前報までのnoteは、直前の投稿にインスピレーションを受けつつ話題をチョイスする、数学的帰納法の手法で論を展開してきまして、正の整数が無限個存在するように、この手法で一生文章を書き続けられるわけですが、ここは閑話休題・シュレディンガーの猫よろしく、世界は確率的に分岐もしていくだろうという考えの下、話題を変えていきたいと思います。



noteにこんな雑多な文章を書きはじめてから、妻から「何だか理系っぽい文章ね」と言われました。

「ハ?リケイッポイ?ジャア"リケイ"ノテイギヲ100モジイナイデノベテイタダイテヨロシイデスカ?」

とは口が割けても言えないので、心の中に仕舞っておきました。

世の中には、こういう言説が有るようです。

コップの中に半分、水が入っている。これを「もう半分しか無い。」と考えるより「まだ半分も残っている!」と捉える方が何かと具合が良いらしい。

コレに対して、私の理想とする応えはこうだ 。
『コップの中には水が124ml入っていて、それ以上でもそれ以下でもありません。但し、一晩置いて明日の朝になったら、いくらか水が蒸発して115mlくらいになっています。あ、でもこれは、周囲の気温・湿度・風速・コップの開口面積などの諸条件で異なりますんで、67%の確率で112~118mlの間に入る、と言わせて頂ければ、ほぼ確実です。』

「本当にコイツは、話が長ったらしくてツマランな」という最もなご意見の方には申し訳ないですが、"理系"とかそういうのではなく、"定量的・科学的で再現性が有る言い方ね"というのが、目指す姿である。

世の中、"社会科学"なる分野が発展していて、俗にいう文系の方が取り組むことの多いと思われる「どのように道路をレイアウトすると渋滞が半減できるか」とか、「どんな選挙区割りにすれば、国民の選択の意志が最も尊重されるか」などの課題にも説得力のある回答が述べられているように、こういった言い回しは全くもって"理系"の専売特許では無いと思うのだ。


ん?
「じゃあ、奥さんをどれくらい想っているか、定量的に表現しなさいよ」
って?

そんなの、大切さが突き抜け過ぎてて、定量的に何かと比較したり、数値化出来るわけないじゃないですか。

随筆
「言葉に出来ないこともあるもんだ」

完。

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