人生は永遠に自己分析
おはようございます。
最近、「人生は永遠の自己分析だな」と思ったことをお話しようと思います。
皆さんは「自己分析をいつしましたか?」と聞かれたとき、多くの人は「就職活動の時」と答えるかもしれません。
確かに人生で初めて、いや、半ば強制的に自分と向き合わなくてはいけない時間を作る時だと思います。
ここで少し私のことをお話しすると、私は小さいころから、「何事も結末だけを先に知る」ことが好きでした。
映画、ドラマ、小説など「どんな結末になったの?」って。
よく友人、家族に聞いてました。
「変わっているね」といわれることが多かったです。
こんな思考を持っていたからなのか、結末だけを知った私は、「なんでそうなったんだろう」と考えたり、自分なりに分析したりするのが好きでした。
また、友人、家族、恋人に何かを指摘されたり、怒られたりすると、「なんでそう思うの?」と聞いていました。
だからなのか、よく「怒るって感情を持ってる?」とか「怒ったことある?」って聞かれることが多かったです。
この「感情論」ではなく、「自分を客観的にみる癖」みたいなものを小さいころから考えるのが得意でした。
この作業を日頃から自分自身にも行っていたので
就職活動の時の自己分析は苦ではありませんでした。
しかし、就職して、何度か過労で救急搬送されたり、鬱になったりしました。
この「考える癖」が悪いほうに動き、「考えてしまいすぎる癖」で心も体も壊してしまいました。
この時も、「なんでこうなったんだろう」と考えました。
おそらくもう病気みたいなもので考えてしまうのだと思います。
その時に出た答えが、「人生は永遠に自己分析をするものなのだと」府に落ちました。
きっと、いくら自己分析をしていても「置かれた環境」や、「人」により、自分はいくらでも変化する生き物だと。
だとするのであれば、新たな自分に出会ったとき、新たな自分の感情に出会ったとき、逃げずに自分と向き合い、今の自分を分析し、アップデートしていかないといけないなと思いました。
しかし、この自分と向き合う作業は、とても苦であり、時間を要しました。
自分のいやな感情や、だらしのなさなどを思い知ります。
だからなかなか大人になると「自分を変える」、「相手を変える」のはなかなか難しいのかなと。
この「自己分析をしアップデートする」癖さえつけてしまえば人生は豊かなものになるのだろうと。
小さい頃は、少し変わっていると思っていた、「自分の癖」が改めて「必要なこと」だったのだと再認識しました。
少しこんな自分を好きになりました。
きっと人生は、自己分析を永遠にしていくことにより、いくらでも豊かなになるのだろと思います。
皆さんもこの時間がある時に「自己分析」をしてみてください。
少し自分のことが好きになるのかもしれません。
まれい
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