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大事に取っておいた素敵なお金

以前、友達のお手伝いをして、御礼としてお代を頂いた事があった。

ピアノ教室をしている友達が、生徒さんにプチプレゼントをしたいとの事で
クッキーを焼いたことがったんだけど、材料代+αで
『少額でごめんね』と手渡された素敵な封筒。
もうこんな素敵な封筒を用意してくれる自体素敵!と思う友達なんだけど
その素敵な封筒は、ちゃんと封の所にも素敵なシールが貼ってあり
中にはさらにキレイな封筒に、新札のお金が向きも揃って入っていた。

子供の頃からそういう事にうるさい母が
お金を支払う時にはお札の向きを揃えてだとか
誰かにお金を渡すような場面では、こうやって封筒に入れてとか
そんな事は聞いていたけど、実際にそんな事をちゃんとしてる人
私の周りには少なくて、別にそんな事しなくて良くない?と
面倒に思った私も、知ってはいたけどサボっていた。

ただ素敵な封筒で新札をとまではやらないけど
お金をお支払いする時に、お札や硬貨を揃えるとか
渡す時には相手が見やすい向きとか、両手でとかくらいは普通にやっていたけど。

仕事でお金の受け渡しをするような場面もあったので
他の人はどうやるだろうか?を観察する機会もあったけど
お金を払う時、きちんとお札を揃えて、相手が見やすい向きに渡す人は少ない。
ぐちゃぐちゃにトレイに雑に置く人も居たし、硬貨なんかはジャラっと投げるように置く人だっていた。
そしてそんな雑な人は一人じゃなかった。
中にはちゃんと美しくお支払いをする人も居たけど、どちらかと言えば雑な人の方が多かった。

お代はちゃんと払うんだからそんな事別にイイじゃん!
そう思う人も居るかもしれないけど、このちょっとしたお心遣い
ちゃんとしてもらうと素敵だなと感じる。

素敵なレストランや旅館などでは、だいたいこういうサービスを普通に受ける。
そういう所での社員教育としては当たり前なのかもしれないし
そんな事を気にしない人からしたら、どうでもイイ事かもしれないけど
私はちゃんとしてもらうと『さすが!』と思ってしまう。
逆に色んなサービスが素敵だったのに、最後にこうじゃないと『残念』とさえ思う。
時々スーパーのレジの人が素敵な対応をしてくれると、こんなところで?
と思わぬ素敵な対応に勝手に感動してしまったりする。

私は友達から頂いたこの素敵なお金、なかなか使う事が出来なかった。
こんなキレイな状態、なんかもったいなくて使えなかった。
これが新札でもなく、封筒にも入らず、現金で手渡されてたら
即お財布に入って、知らないうちに消費されていたかもしれないけど
この美しい状態を素敵だと思った私は、そのまま大事に取っておいた。

自分の宝物を入れている引き出しにずっと入れておいて数年
引き出しを開ける度に目に入り、その度にその素敵な友達を思い出した。
母から言われてこういう事をする事が素敵なのは知っていたけど
私はちゃんと誰かにこういう事をしてあげた事が無い。
友達からしたら当り前の事を自然とやったのかもしれないけど
こうしてもらったことに母が言ってのは『コレか!』と感動して
そのお心遣いに嬉しくなった。

先日、この素敵なお金を使う機会がやってきました。
友達からもらったこのままの美しいお金、そのまま別の人に渡すってどう?
とも思ったけど、従弟の子供に何かしてあげたくて
でも『御祝』と渡すと、かえって気を遣わせてしまうしと思っていた時に
コレだ!と思ったのです。

この素敵なお金を受け取った時、大金ではないけど、少額でもわざわざ新札を用意してくれるというそのお心遣いに
なんだかプレゼントをもらったような気になった私だったので
渡された従弟がそう感じてくれたらイイなと思ったし
こんな事をしてくれるお姉ちゃん、素敵な大人だ!と思われたらイイな
というちょっといやらしい下心も私にはあった。

私の思惑通り、従弟はちゃんとそう受け取ってくれて、とても喜んでくれた。
私もとても嬉しくて、この事を友達に話したくなった。
私にしてくれた事を転用したなんて!って嫌な気持ちになる人も居るかもしれないけど
友達はその話をした時に『なんて嬉しい事言ってくれるの!』と感動してくれた。

やはり友達のお母さんという人も、うちの母と同じように
そういう事にうるさいタイプだそうで、子供の頃からうるさく言われて
ちょっと面倒だなとは感じていたんだそう。
でもそんな事を言ってもらえて、ちゃんとして良かったなって思うよと言ってくれた。

この友達は本当に素敵な人で、何から何まで本当に素敵。
うちの母は、きっとこんな娘に私を育てたかったんだろうなと思うほど
母から言われた面倒クセー事の多くを、当たり前のように自然とふるまっている。
自分がやるのは面倒クセー事だけど、それを自分がしてもらうと
とても特別な嬉しい気持ちにさせてもらうので、こういう事って大事なんだなと改めて思った。

それを知ってはいても、では私も!とはなかなかなれない。
こうしてくれる友達には、同じような対応をしたいけど
私がそんなお心遣いをしても、なんとも思わない人にはしたくない。
だってせっかくやったのに、何の反応も無かったら『やって損した』くらいに思いそう。
私の『お心遣い』には、いつだって『良く思われたい』という
いやらしい下心がセットになっていて、自然とは出来ないので
いつまで経っても素敵な人にはなれないんだなと思う。それが私です。

私はそんな残念な人だけど、こんな私をいつだって幸せな気持ちにさせてくれる友達
彼女に出会えた事は、本当に宝だなと思います。
出会えただけでも素晴らしい事だけど、仲良くまでしてもらって、友達になれたなんて
私の人生はラッキーだなと思います。

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