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温度の感覚

アツアツの食べ物を提供されても、冷め冷めになるまで放置しても平気な人
私が最も苦手なタイプというか、絶対仲良くならないタイプ。

子供の頃からアツアツ出来立てのごはんを提供してもらって育ったせいか?
私はその状態が最も美味しいと思っているし
自分が提供する側になって、その状態を提供する事が大変な事もわかった。
アツアツの出来立てを食べさせたいという思いでの調理は
その人が席について食べる準備が出来たその瞬間から逆算して準備をする。

火が入り過ぎてもいけないし、席についてからなるべくお待たせせずに
全てが一番美味しい状態となるようにと思うと結構大変で忙しい。
色良く、最高に美味しい状態を召し上がれ!と提供した事に対して
早速その美味しい状態を食べてくれる人が大好きです♡
さらにはそんな状態を提供した事を労ってもらえたら
『わかってらっしゃる!私の思い!』とさらに嬉しくなっちゃう♡

でも全く逆の残念な反応の人の方がずっと多い気がする。
まぁ残念だと思っているのは私の捉え方なだけで
実はそっちの方が普通だったりするのかな?

出来立てじゃなくても、作ってだいぶ放置してあっても
温め直さずとも全然平気な人は、そういう環境で育ってきているから?
私が幸せな(←自分にとって)環境でぬくぬく育ち過ぎだろうか?

本当に一番美味しい状態を逃しているのに『美味しい!』と言われるのも
『これイマイチだね』と言われるのも、ホント?って思ってしまう。
『美味しい』はまだイイにしても、でももうちょい前の方が絶対美味しいよと思うし
『イマイチ』と言われれば、でしょうね、そうなのはあたなのせいでは?
って思わずにはいられない。

それでも子供を持つ友達と一緒に食事をする時
そんな事言ってられないんだねって思うけど。
アツアツ出来立てを食べたいのはヤマヤマですが、ムリです!って状況
お察しします。仕方ないね。本当に予想出来ない色んな事で大変そうです。

私は色んな人に対して食事を提供する事があるけど
どうしてもこういう思いがあるせいか、誰にでもってわけにはいかない。
まずは提供する人の事が大好きで、その人の好みや状況もわかってて
そんな中でも美味しく食べられる食事しか提供したくない。

アツアツ出来立てがムリなのであれば、冷めて時間が経っても美味しい料理を検討したいと思うけど
こういう思いを注げるのは好きな人に対してだけ。

どうでもイイ人にどうでもイイ感覚で自分の提供した物を食されるなんて
絶対に自分はムリだなと思ってしまう。
そう思うと、世の飲食店の皆さん、本当に凄いと思います。

飲食店にも色んな種類があるし、それほど心を注がずとも
流れ作業のように提供する事もあるでしょうが
お金と引き換えに提供後の相手の反応はおまかせって、なんか凄いな。

こんな思いがあるせいで、私はどんな食べ物に対しても
これを提供して下さる方の労力や思いを考えてしまう。
大抵の場合は『ありがとうございます』という感謝の気持ちだけど
アレ?コレは美味しく食べてもらおうっていう気持ちがありますか?
ってモノに遭遇する事も無くはない。

人それぞれだと思うから、絶対私の思いが正しい!とは思わないけど
人との向き合い方にしても、食べ物の温度にしても
持ってる温度の感覚が近い人が私は大好きです♡

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