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仲良しキャッチボール

仲良しの友達との間でよくある嬉しいやりとり。

何かこちらが嬉しい事をしてもらったら
それ以上の嬉しい事を返してくれる。
これは物によらず、言葉や気遣いだったりもするんだけど
こういうやりとりが出来る関係って、本当に幸せだなと思う。

相手の喜ぶ事を考えるのもなかなか幸せなもので
こんな事したら喜んでもらえるかな?こんなの好きかな?
そんな事を想像しながらした事に対して
想像以上の反応をもらえると、本当に嬉しくて
ヨッシャー!って気持ちになります。もうそれだけで充分なほど。

あぁ~喜んでもらえて良かった~♡
と嬉しい気持ちに浸っているところに
もっと嬉しいお返しがあったりしたもんなら
どうしよう!もっと私も喜ばせたい!何しよう!ってなる。
こんな風に思ってしまうのもお互い様のようで
この嬉しいキャッチボール的なやりとりはずっと続くのです。
なんて幸せな事だろう。なんて素敵な人と仲良しなんだろう。

こんな嬉しい環境に居るせいで、そうでない反応の時
アレ?ともやもやしてしまう事もある。

『見返りを期待してはいけない』
法事でお坊さんが話してくれて、そうだよなと頭ではわかっているのに
まだまだ未熟な私としては、反応が薄いのはがっかりしてしまうし
想像していた反応を下回ると『もう二度とやらない』とさえ思ってしまう。

そもそもお節介でサービス精神旺盛な性格がいけないんだけど
私は好きな人に対して、自分の出来る、相手が喜びそうな事を
これでもか!ってくらい思い切りやりたい。
だけどこれが好きじゃない、どうでもイイ人に対してだと全く出来ない。
出来ないというかやりたくない。何で私が?って思うほど。

スーパーボランティアと言われる、何の見返りも期待せず
困っている人の為に、自分が出来る事をやる!という方
本当に尊敬してしまう。なんてあなたは偉いんですか!
って見習えばイイのに、私はどうしてもそうはなれません。

これと同じで反応が出来なかったり、薄かったりもしょうがないのかな?
まぁそれはしょうがないにしても『やってもらって当たり前』みたいな
そんな反応されるのは嫌だな。『当然やってくれるんでしょ?』みたいな。

天邪鬼な私は、自分からあれこれ想像して何かをする事は好きだけど
『やって』と言われてやるのは『嫌』と返したくなってしまう。
誰かに何かをする時『あなたは私の特別な存在です!』という思いなのか
その『特別感』を察してくれる人に対しては、間違いなく次があるけど
1回してくれたんなら、次もしてくれるんでしょ?『またお願いね』と
『またどうぞ』をこちらから言っていないのに
勝手にそっちペースで言われると確実に次は無い。
『特別対応は今回のみとなります。終了です。』と。

そしてこういうやりとりがあった人とは、距離を取るようになって
疎遠になっていく。『仲良し関係も終了です』

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