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35歳問題の悲しみ

エモの研究

まとめ:悲しみの正体とは「物事が失われたときに感じる感情」というのが、僕の仮説です。正確に書くと、「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」になる。

今回は35歳になるとなぜか涙が出ちゃう、「35歳問題」について。
(東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』についてネタバレなし)


僕が2000年代に読んだ小説の中で、圧倒的だったものがあります。
それが東浩紀さんの『クォンタム・ファミリーズ』です。三島賞を受賞されました。

2007年夏、芥川賞候補作家の男のもとに、生まれてないはずの2035年の未来に生きる娘から、メールが届くことから始まる、並行世界を舞台にした小説です。
込み入った物語ですが、めちゃくちゃおもしろいので、浅子佳英さんが作られたこの表を見てゾクゾクしたらぜひ読んでみてください。
表はネタバレ含んでいるので、チラ見がよいです。

その中で扱われる主題に「35歳問題」というものがあります。
この問題を一言で言えば、
「すべての人が、たったひとつの人生しか生きられない悲しみ」
のことです。

どういうことでしょうか。

●すべてうまくいっている男の涙

この小説はとてもたくさん仕掛けがあり、村上春樹がたびたび引用されたりします。

作中で村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート』の中に描かれている短編「プールサイド」が引用され、その主人公がなぜ泣くのかが、絵解きされています。

一部、引用します。

「元水泳選手の男」が三十五歳の誕生日を迎えて、煙草を吸ったり妻の寝顔をながめたりしたあとなぜか一〇分間だけ涙を流すという、ただそれだけの物語を発見した。
(中略)
「やりがいのある仕事と高い年収と幸せな家庭と若い恋人と頑丈な体と緑色のMGとクラシック・レコードのコレクションを持っていた」としても、涙を流す。
(P28)

この涙を作中でこう解釈しています。

 僕は考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば、別の職業を選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。
 そして、その両者のバランスは、おそらく三十五歳あたりで逆転するのだ。その閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。それはそもそもがこの世界に存在しない、蜃気楼のようなものだから、いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない。
(P28)

華麗に表現されているので、いささか野暮ですが、悲しみという観点でこれを紐解くとこういうことになります。

ここでいう「仮定法の亡霊」、《かもしれなかった》期待こそが、悲しみです。

35歳頃に、今の人生とは別の人生の可能性を考えるとなぜ悲しいのか。
それが「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」になるのか。


10代、20代だったら、まだまだ人生の可能性は開けている。
後悔より、自分の人生をまっとうすることに注力している、か、振り返るどころじゃない。余裕がない。

それが35歳、人生の折り返し地点(「プールサイド」本編では寿命を70歳と仮定すると、35歳が折り返し地点だとしている)に近くなり、自分の向き不向きを知ったり、社会的にも安定し始めたり、老いを感じ始めたりしたして、ほとんどの人にとって、人生の可能性が収斂してくる頃合いです。

そこで、ふと、昔を振り返り、別の職業を選んでいた人生、別の人と結婚していた人生など、自分が生きられなかった別の人生に思いを馳せる。

人生が上向きだろうが下向きだろうが、「プールサイド」の主人公のように、これ以上ないような幸せな人生を選んでいたところで、安定していれば冒険が、冷静を選べば情熱が、都会に住めば田舎が、プラスに思えてしまう瞬間がある。

それは既知の人生よりも未知の人生に期待する、惑わされるということです。
そこを通過してこそ、「不惑の四〇」というのかもしれないですね、とか言ってみたりして。


最も、みんな長生きするようになってきたし、スモールスタートが可能なテクノロジーが発達してきたので、35歳からのリスタートというチャレンジもできそうです。
プールサイドの男もおめおめ泣いて、人に話してすっきりしてないで、もっかい全力で別のコースを泳ぎきってみればいいのでは、という可能性ですね。

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