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LINEを見返す

なにとなく、ストレッチーズの貫ちゃんとのLINEを見返していた。

貫ちゃんは大のあだち充フリークで、昔からH2のスタンプを多用していた。
主人公比呂の家で飼われている犬、パンチのスタンプが貫ちゃんから送られてくるたびに僕は「チンポ!」と返し、都度貫ちゃんから「パンチね」というツッコミを頂戴していた。

本当に人様に見せるものでは、まして友達を巻き込んで白日の下に晒して良いわけないくらい俗っぽいやり取りなんだけれども、僕はこれが大好きだった。見返すたびに吹き出してしまう。

様々なアレンジを加えながら数度に渡って行われてきたラリーだけれども、ここ最近はご無沙汰だった。なにとなく思い出して、最後のパンチ(チンポ)はいつだったかな、1、2年前か、下手したら3年前かも、とか思いながら遡ってみたら、直近にして2018年の2月だった。ゾッとした。

今に至るまでもそこそこにLINEは交わしている。シンプルに貫ちゃんがあまりパンチのスタンプを使わなくなったのかもしれないし、僕が、パンチのスタンプをくれてやるのに相応しいような、愛嬌のある相手じゃなくなったのかもしれない。


どれくらい前のやり取りかの見積もりを大幅に見誤っていたのもショックだったし、その上でなにとない思い出に自分だけが縋っているような気分になって凹んだ。LINEのやり取りという瑣末な出来事に端を発して凹んでしまう自分もまた、情けなかった。



知らずのうちに積み重ねてきたものが愛おしい。殊勝な努力とか、掴み取った称号に限らない。ちょっとしたやり取り、お決まり、くだらなくて良い、積み重なった文脈がともかくも愛おしい。そして、意識しようがするまいが、積み重ねないことには愛でることもできない。

全部が全部「これ、後々に見返したらふふふとくすぐられるかもな」とか思って過ごすわけにはいかないし、そんな野暮ったいことできない。できないけれども、一瞬一瞬をちょっとだけシャれたり、素敵にしたり、当意即妙にしてみたりすることは、まず第一に人生の今この瞬間に彩りを加えるし、そしていつかきたる未来の自分を喜ばせてあげられるのである。
「チンポ」とLINEすることのどこらへんが素敵で当意即妙なのか、そんなのスパンと答えられないけど、とても愛おしくて、それゆえにもっともっといろんなものを積み重ねていかないとな、と思ったのだった。



もう32歳なのにさ、LINEとかまだ全然好きなんだな、って思う。
中高生の頃の自分は、好きな子から来たメールを保護し、新しく身悶えするようなメッセージが届くたびに都度厳正なる審査を繰り返し、100通のレギュラー枠を決めていた。メールがLINEになり、枠がなくなっただけで、本質的なところはあんまり変わってない。
今の若いもんは「保護メールを選定する」という身を裂くような厳しい体験を経ていないから、決断力・判断力に著しく欠けている。そうに違いない。

みんなLINE見返して吹き出したりしてないんだろうか。してなかったら寂しいし、してるんだったらよくそんな素振り見せずに生きているもんだなって思う。

35歳、40歳になってもそんなんやってるんだろうか。もし変わらずやってたら恥ずかしいとは思うけど、良いぞ変わらず生きてくれ、とも思う。


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