連日いそいそとライブに出て、出番の合間では日頃一緒になるメンバーと涼しい楽屋でくつろぐ。
実際のところ、いよいよもう始まりつつある戦いの日々に向けてあれやこれやとゴシップをぶつけ合う。
みんなそれぞれがそれぞれにプライドを持ってやってて、それでいてお互いがお互いの強みも知っている。なにがなんでも勝ち上がるのは自分でありたいけど、全員がそう思っているのも知っている。「〇〇が強そう」「××がとんでもない隠し球を持ってる」みたいに交わし合った言葉たちもどこかこう、霧吹きのようにふわっと霧散して落ちる。
8月1日からM-1グランプリが開幕して、キングオブコントの東京2回戦が始まる。もう、平常心では過ごせないのかもしれない。妙に落ち着かないまま過ごしている。ろくすっぽ仕事もせず暇なはずなのに、どこか心せわしなく歩いている。



なんつって。



肥満がまたピザを食べさせてくれた。えげつないチーズと、卵と、小麦粉の暴力。美味すぎる。美味すぎて脳がびっくりするのと同時に、「美味くて良かった、まだまだ美味くてよかった」と胸を撫で下ろす自分もいる。まだまだハツラツ30歳、いずれこのカロリーナックルを受け止められない身体になっていくのかもしれない。

本当に、自分でもまだ整理がついていない、向き合いたくない事実がある。こんなことあっちゃいけない、認めてしまったら最後、自分のコアが揺らぎかねないと身体を震わせている。

すた丼が、もうそんなに好きじゃなくなってきている。

ともかくも好きは好き、絶対好き、本当に好きなことには間違いないんだけれども、もうあの頃のように空腹へのとびっきりのご褒美ではなくなっているのかもしれない。落ち込んだ時、悩んだ時、どうにも腹の虫が収まらない時、決まってすた丼に行き、並盛りないし飯増しを豪快にかっこんできた。自分の機嫌は自分で取る、僕なりの幸せメソッドの一つがすた丼だった。
今ではもうそうでもなくなっている。めちゃめちゃ美味しいことには変わりないんだけれども、直近3回くらいは毎度塩すた丼を頼んでいる。
「今日はすた丼が美味しいに違いない」と思っても、券売機では塩すたに指が伸びている。プラス100円ちょい掛けてでも、付属の卵を好きでもなんでもないとろろに変えることになってでも、自ずと指が塩すたに伸びている。ちょっとでも淡白な方、爽やかな方を選んでしまっている(塩すた丼でも十分こってりしてない〜!?っていうあなた、そこにあなたの悪いところが全部詰まっています。Twitterアカウントを閉じてください)。
すた丼とは情で繋がっている。ありのままを愛せない、そんな自分と向き合わなければならないのかもしれない。愛しんだ日々はなくならない。一思いに、激しくかっこんだあの日に思いを馳せながら、優しい目をしたおじいちゃんおばあちゃんのように上手に付き合っていく時が来たのかもしれない。

好きなものを、好きじゃなくなっていると自覚するのはかくも辛いものか。
辛い思いをさせないためにも、僕たち自身も変わらない、や、ぐんぐん増していく魅力をお届けしていかなければならない。「なーーーーーーんか言ってら」と鼻で笑う人には、思わぬ角度から飛び出すおもしろハイキックをお見舞いせねばならない。嘘、鼻で笑う人にはむやみやたらに近づかない。怖い。ともかくも自分たちを信じてやっていく。


夏が暑すぎる。



夏が暑過ぎて、ヘビセンでとんでもない失態をやらかしてしまった。
僕らの出番、前置きもそこそこに用意していた演目に入っていかんとする中、なにやら噛み合わず、ずるずるとわけの分からん言い合いに発展してしまった。
罵り合いとアドリブとグダグダとギャグとバイオレンスと足の引っ張り合いと下ネタと脱走、全部のごった煮みたいな、およそプロのステージとは思えない何かをぶちまけて去ってしまった。
あれはなんだったのだ、と説明を求められても2人してろくすっぽ説明できず、パキッと気持ちの良いタイトルも付けられていない。わけがわからない。
少しずつ少しずつ、夏にやられている。


子どものように、ひたむきに走り抜ける夏。
大人として、愛を見つめ直す夏。
バカの夏。夏のバカ。

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