春みたいな日

1年に1回、決まったメンバーで新宿に集まって、ふざけてもふざけてもたどり着かないほど長い時間電車に揺られ、ご家族のあたたかいおもてなしに舌鼓を打つ。今年も無事お墓参りに行くことができた。例年はほぼほぼ薄手の長袖を着ていたけれども、今年はみんな半袖だった。短かった夏の帳尻を合わせるかのようにまだまだうっすら暑い日が続いている。
おいそれと言いたくもないけれども、手に取ってあれこれ述べることができる学生時代の思い出の量と、通い続けたお墓参りのハイライト、案外とんとんになってきているのかもしれない。感情が今どんな塩梅かは関係なく、いやがおうにも月日は流れていく。毎年、「言い方は考えないといけないけれども」とか頭の中でぶつぶつ前置きしながら、1年で最も笑えて、楽しみで大切な日の一つになっている。

仲間たちをおうちに残し、一足先においとました。ゲストとして呼んでもらった若き血潮あふれるユニットライブに出演するため新宿に舞い戻った。中央線が運転見合わせとのことで西武線へと華麗に乗り換えた。ガラガラの車内で揺られること1時間弱、昼間にはしゃいだ体力を取り戻すかのように眠りこけた。
長時間の電車で眠りに落ちるのはとても気持ちが良い。乗り換えはともかく少ないほうが好ましい、乗車時間は少しでも長いほうが良い。最終面接で「あなたは人生で何を重視しますか?」と問われることがあるならば「乗り換え回数です」と答える。乗り換えは少ないほうが良い、電車も、携帯電話も。「携帯電話はどんどん乗り換えちゃったほうが良いんですよ?」と言ってくるな、実際そういう真理ががあるのかないのか知らんけど、君とは友達になれない、あっちに行って欲しい。

新宿に戻りしな、タイムラインをぼんやりと遡ってみると事務所の仲間が解散を発表していた。改めて言うまでもなく面白くて、事務所の中でも数少ない仲間と呼べるようなコンビであったから、率直に、残念でならない。
全員が全員良い感じに結果を出してもりもり頑張れる世界では当然ないから、どこかの誰かは去っていくし、どこかの誰かは仲間を失って口惜しく思う。もうどうしようも無い。新しい世界でも頑張って欲しい、と、言いはするけれども言葉に魂が伴わない、年を経るごとに、別れを経験するごとに少しずつ感情が削がれていっている。いよいよもう自分がもりもり行くしかない。


ユニットライブはお客さんもたくさんいらっしゃって素晴らしかった。若き血潮あふれるライブであるから、血潮あふれるチェキ販売も行われていた。チェキにサインを書くという慣れないイベントに妙に緊張してしまって、緊張もしてしまったし「ああ、これ赤と緑で色変えたほうが良かったか」とか「この台紙と写真の境目の部分、段差になっていてちょっと難しいな、全箇所ミスっちゃったな」とか「相方にコメント見られるの、ちょっと嫌だな」とか色々考えてしまった。もっと言うと色々考えてなんとか書いたチェキ、なんとかかんとかえっちらおっちらアナクロ三十路が書き上げたチェキと、百戦錬磨のキラキラチェキマスターが仕上げたナイスチェキが同じ値段で良いんだろうか?などと思いもして、総じて、情けなかった。

情けない局面はこれからどんどん増えていくよな、と想像できる。情けなくてもなお、どんどん新しい接触を喜んで受け入れていかねばならんな、とも思う。おじいちゃんになりたくないとかもあるけど、単純にそのほうが仲間も増えて楽しい。自らの身でもって教えてくれた先輩もいる。
自分なんて何者でもありやせん、実績0のパンピーでありやす、というスピリットは良い意味で持っていて良いよなと後ろ向きにふんぞり返っているけれども、1年目とか2年目の面々からしたらどこか大げさな存在に映っているかもしれない。僕のちょっとした真顔も3割増しの仏頂面に見えるかもしれないし、そもそも220cmぐらいの大きさに見えているかもしれない。そういう想像力を持っていかねばならない。
こんなこといちいち書いた上で「どんどん仲良くなるぞ」と息巻いて近寄ってこようもんなら相手も絶対に身構えてしまうだろうが、関係ない、笑顔で、実際には174cmぐらいだよ、みたいな顔をして近寄っていく。そんなに明るくはないけれども、相手を知りたいという好奇心は強いと思う。

避けられない別れを嘆き、時に旧友に思いを馳せ、新しい出会いを慈しむ。清少納言もそんなこと言ってたろう、知らんけど。

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さすらいラビー中田
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