ニューゲーム

時宜にかなった、今らしい、1月らしいトピックに触れようと少し振り返ってみると、今週水曜日にR-1グランプリの1回戦を通過することができて、今日は全国の受験生たちが共通テスト1日目を戦った。

1年前のこの時期もR-1のことを話したり受験のことを振り返ったりしている。毎週更新するnoteが2年目に突入して初めて、1年間、すべての季節を生きてきたのかと実感する。今までも、変わらず毎年毎年を生きてきたけれども、1年前に自分がくっきり形にしたものを見返すことで、今年が相対的な意味合いを持ってくる。
せっかく毎週毎週せこせこ言葉を残していくからには、2022年の自分が今どうなのか、今何を思っているのかを述べていかないと世話ないと言うか、ここであれこれ記していくことの意味(ちょっと仰々しいけれども)がないような気がする。
そういうことを念頭に置かないと、僕の中の清少納言が、僕草子の中で、毎年毎年「夏は暑くて最悪だ」と変わらず言うみたいな、1年でちょうど完結する作品を新連載みたいな顔でしれっと載せなおすみたいな、そういうみっともなさがある。これから毎年共通テストがやってくる度に、「僕が高校生の頃はセンター試験でね」とか「大学時代塾講師のアルバイトをしてたから、受験生を見ると胸がキュッとなるもんでね」とか、今までと同じ、たぶんこれからも変わらない解釈を繰り返し述べてるのでは、なにかこう、成長が無いというか、もったいない。

もっと言うと、「元旦」も、「夏」も「自分がもう受けることのない共通テスト」も、いずれも今後、半永久的に変わらず訪れるだろうけれども、期限がある賞レースには決まって、期限がある。いつかはっきり終わりが来る。変わらない風物詩に対して変わらない感想を持つのは、それもそれで平和というか、それぞ風物詩たるゆえんなのだみたいなことをフガフガ言えそうな気もするけれども、いつか終わりが来るものに対して「今年もやってきた」と言って「今年も終わった」と言って変わらず終わってしまうのは、いよいよヤバい、よりいっそう、「同じような1年」を迎えてしまうことのヤバさが際立つ。
むろん、毎年毎年考えて考えてオラオラ立ち向かっていくのは当然のことなんだけれども、くっきりはっきり、毎年毎年「今年」を感じながら突き進んでいかないといけない。
1週間に1度、土曜日がやってくる。2度目の土曜日がやってくる。そのたびに(厳密に毎度毎度ということは無かろうが)、「あら…みっともない、また成し遂げてない1年ループ…」と突き刺さってしまうリスクを孕んでる。

なんでもかんでも「今年は一味違うぜ…」に飲み込まれてはいつかどっかでヘトヘトになってしまうかもしれないけれども、なんとなく頭の片隅に置いておく日々にしたい。



今年の1月第3土曜は一味違う。
今年は「最も美味いポテチ」を決定することができた。

ファミマの『ポテトチップス 絶品うすしお味』である。
うすしおと言うにはちょっとだけしょっぱめに、それでいてどこか優しい塩味(しおみ)を感じるジャスト、ベストな味つけ、そして「なーにがじゃがいも感だ、じゃがいもを感じたければじゃがいもを食え、これだ、これこそがTHE ポテトチップスだ」と言わんばかりの軽やかなチップス感、究極である。封を開けたが最後、ちょうどノンストップ5分間でペロリとたいらげるよう緻密に計算されている。
昨年末にファニコン配信のお供になにとなく購入して初めて口にした時、その鋭い美味しさが脳天を貫き、配信の軽快なおしゃべりにブレーキを掛けようが、視聴者を置いてけぼりにしようが何のその、むしゃむしゃと食べる手が止まらなかった。ノンストップ5分間でペロリとたいらげた。
先週食べた2回目で確信に変わり、本日3回目、緻密なダブルチェック、トリプルチェックを重ね、正式に「最も美味いポテチ」として決定した。あとで困っても良いから、100点をつけさせてもらう。


「困っても良いから100点をつける」っていうのが自分の性分からしてそうそうなかったから、なかなか貴重な機会だった。よもやポテチを通して感じるとは。
折を見て、いろんな僕のベストを称えていく1年にする。

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