きみは走馬灯を見たか
新型コロナウイルスのせいで、寂しい卒業式が続いているようだ。気の毒だが、悪いことでもないように思う。それだって、価値ある経験かもしれない。寒いなか強要される、長くて面倒な式典が無くなったのだし。
在校生代表「思い出が、走馬灯のように、よみがえります」
みんな「よみがえります」
小学校の卒業式、毎年こんな感じのセレモニーがあったと記憶している。毎年同じ台詞である。何度も練習させられる、じつにバカバカしいシーズンが今ごろだった。
練習が厭わしいだけでなく、僕は「走馬灯」の存在がとっても気持ち悪かった。
90年代、走馬灯を見たことのある小学生が、いったいどれだけいただろうか。「こんな感じ」だと黒板に絵を描いてくれた先生もいたが、ピンとこない。そもそも見たことのない例え話をしたところで、相手に気持ちが伝わるとは思えない。説明が必要な言葉を使わすな、である。
以来、実際に走馬灯を見たことはなく、映像として北島三郎主演の映画「続 兄弟仁義」で具体的にイメージがつかめたのが38歳も後半のこと。映画の時代設定は大正初期である。
ときどきインタビュー記事で「壁にぶつかった経験は?」と質問しているのを見かけるが、果たして本当の壁にぶつかったことのある人が、どれだけいるだろうか。「例え話じゃないか」と思うかもしれないが、ぼくには気持ち悪い。
たしか新卒採用の面接でも聞かれたが、ぼくは「ありません」と答えたように記憶している。壁にぶつかった相当の経験はあったかもしれないが、それを「壁」と感じたことがなかったのだ。辛い思いはいくつかあるが、一度も壁だとは思わなかった。これからもないだろう。
ぼくはライター業をしているが、リアルさのない表現は使いたくない。
ただし、掃除の行き届いたガラスの自動ドアには、ぼくは何度かぶつかっている。
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