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【やが君2.5次創作】Regarding "the 40.5"(山根由里華について)前編

林麻友。上村哲也。山根由里華。市ヶ谷知雪。
そして。

七海澪。

「ー出演者ー」の欄のいちばん上、忘れようもない名前をしばらく見つめて、私は小冊子を閉じた。表紙には「ミステリー部殺人事件」の文字。この冊子は私が個人的に手元に持っていた確認用のコピーであり、完成版……正確には完成版だったはずのものは他の生徒会資料に紛れ込ませた。まだ高校にあるかもしれないが、確かめるつもりもない。

この「生徒会劇」パンフレットは「あの日」以来しまったままにしていた。これを久々に机に広げているのは、私の職場でバイトしている大学生の子からのメッセージがきっかけだった。

「先輩が高2の時の生徒会長覚えてますか?
妹が遠見東の生徒会役員なんですけど、
7年前の会長を知りたいらしくて」

私が高2の時の生徒会長、生徒会劇主演、七海澪。同学年の誰に訊いても憶えていると答えるだろう。しかし生徒会長・七海澪について私より詳細に、正確に語ることのできる人間はいない。私はあの子のことなら今でもたやすく思い出すことができる。

演説、連絡、挨拶その他、全校生徒を前にし、体育館のステージに立つ。そのときの凛とした立ち姿、堂々とした顔つき。

かと思えば結構適当な子で、急に仕事を振ってくるし、宿題終わらないから手伝ってと縋りつかれたこともあった。私が手を貸すと「いつもありがとね」と言葉をかけてくる。そのときのふにゃっとした笑顔。

7歳下の妹のことが大好きで、話し始めると止まらなくなる。そのときの心底幸せそうな横顔。

そして、「あの日」。さいごに見た彼女の顔。冷たくて、静かで、ぴくりとも動かない。私が呼びかけても、呼びかけても、呼びかけても。

私は七海澪を誰より知っているつもりだが、彼女のあんな表情は見たことがなかった。あの子は居眠りしているときですら暖かく、柔らかく、たまに口の端から妹の名前らしき音が漏れてきたりする。私が緩んだほっぺをつまんで起こすと目を半分開けてばつが悪そうに笑う。だから私は「あの日」冷たい彼女と対面して、七海澪がもう帰ってこないのだと、否応なく理解させられたのだ。全身に力が入らなくなった。その場に崩れ落ち、棺にもたれかかり、もういちど澪の顔を見ると、涙があふれて止まらなかった。私はいつまでも、いつまでも泣き続けた。

バイトの子のメッセージ画面を開いたまま、私は自室の天井を見上げていた。まつ毛だけでは支えきれない質量を、重力で押し留めようとしていた。こらえろ。私はもう泣かないと決めたのだから。

「澪がいないこの学校を引っ張るのは、俺は山根さんしかいないと思う。」
「わたしも、由里華せんぱいについて行きたい。支えたいです。」

会長不在となった生徒会の最初の議題は当然、七海澪の役職を誰が引き継ぐかというものになった。私が副会長であることや、お通夜での私の有り様を見たからか、みんなそう言ってくれた。

「ありがとう。澪と同じようにはできないけど、私なりに全力を尽くす。」

次の日は臨時の全校集会が行われた。体育館のステージには私が立つ。ここに立つのは生徒会長選の応援演説以来だった。ステージに立つあの子の凛々しい姿はもう見ることができない。私の表情は硬かったはずだ。しかしそれは「あの日」疲れきった顔の筋肉がまだ言うことを聞いてくれなかったからで、緊張していたからではない。このときも、前の応援演説のときも、私は緊張しなかった。私は知っている。誰よりも。第四十代生徒会長は七海澪をおいて他にないと。私のことを「生徒会長代理」や「第40.5代生徒会長」と呼ぶ声もあったが、私はあくまでこう名乗った。

「生徒会副会長の山根由里華です。」

あの子に代わりなんていないの。あの子はもう帰ってこないの。私のやることは変わらない。私は私にできることをやるだけ。あの子が急に押し付けてきた仕事を片付けるだけ。その先にはいつも「ありがとね」と労うあの子のふにゃっとした笑顔、私にとって何より価値のある特別な表情があった。

私はもう泣かないと決めた。いつかこの先、もしかしたら何十年も先かもしれないが、どこか遠い、ここではない場所で私はまた七海澪に会うことになるだろう。そうしたら私はこれまで通り何でもない顔をして、苦労させられたと軽口を叩いてやる。それであなたのふにゃっとした笑顔を引き出してみせる。あなたを失った私の人生はそれで全部報われる。そこまで終わったら、もうどうでもいい。あなたに思いっきり抱きついて、気の済むまで泣きわめいてやるのだ。それまでは泣かない。そう決めたのに。

「あー……ダメだ」

目尻からあふれる水滴とともに声が零れた。今回のはずるい。不意討ちだ。しかしそれだけ私が「7年前の生徒会長」を今でも大切に思っているということでもある。天井を向く意味がなくなった私はメッセージ画面に向き直る。いい加減なにか返信しなければ。向こうからすればなんでもない質問なのだから。私は誰より詳しく答えることができる。私が、みんなが彼女を大好きだったこと、彼女がもう帰ってこないこと……。こんな話をしたらまた泣いてしまうので、私は淡々と、客観的な事実だけを返したのだった。

「当時の生徒会長は七海澪さんだよ」


後編へつづく


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