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英語教育そんなに失敗してないなと思った話

ソウルに行ったとき、「International Taxi」を使いなさいよ、と事前に言われていたんだけど、まあほら、今はスマホで行先見せたりすればいいじゃんか。あまり気にしてなかった。その罠はホテルから空港に行くタクシー呼んでもらった時に発動した。「Terminal 1」が通じなかったんだよね。One。ただの数字。数字くらいは韓国語で言えるようにしておくべきだった。

韓国は割と英語教育に熱心な国だと思っていたんだけど、考えが甘かったことにその時気づいた。同僚の韓国人は大抵メチャクチャ流暢な英語を話すのだが、思い返してみれば彼らはそもそも留学経験のある人ばかりで、つまりそこに格差があるのだろう。学歴を積みたかったら留学する、留学するためには英語教育、だけどタクシードライバーの人はそうではなかったんだ、おそらく。

似たようなことはブリュッセルでもあって、その時エレベーターが計画停電で使えなかったので客室清掃の人にフロントに行ける階段を聞いた。客室清掃の人すっごいニコニコしてんだけど、フランス語しか返ってこなかったので私は適当な階段を降り…ロビーではなく厨房に着いた。ブリュッセルは国際色豊かな都市で、レストランもだいたいフランス語・オランダ語・英語併記なので油断していた。フロントの人は客と話すけど客室清掃の人はその必要がないもんな。

だから、カタカナ発音でもワンツースリーくらいは誰でも分かるのは結構英語教育が行き届いてるってことなんだなと思うようになった。考えてみれば日本語と英語は文字体系も文法も発音も、何から何まで違う。ここまで違うにしては、文字体系や基本的な語彙を覚えているだけでもすごいことで、その機会がそれなりに均等に与えられているのは悪いことではないな、と思った。

「他言語の習得が難しいのは当たり前じゃん」って思うじゃんか。おそらくこれは、ある種の人にとって当たり前ではない。

コンビニ店員に外国の人が増えてきた頃、その辿々しい日本語にキレる客がいる、って話があったじゃんか。これ逆もそうで、アメリカにもどの国にも当然俺のわからない言葉話すんじゃねーってキレる人がいるわけさ。こういう人は「他言語の習得が難しい」というのを理解していないのではないか、ということを考えたことがある。

つまりまあ、ある人が日本人だったとしよう。で小学校中学校くらいで英語を習う。けど英文法ってやつ難しくてわかんない。こりゃ無理だ英語を使うのは諦めよう。こういう人。こういう人の経験からは二通りの考え方ができる。一つは「(自国語以外の)他国語を習得するのは難しいんだな」、もう一つは「日本語は簡単だけど英語は難しいんだな」。

後者の考えに陥るのは結構自然なことである。なぜなら、そういう人だって「日本語なら」勉強せずとも話せている。「文法など」教わらずとも書けている。だから、それと比べて特別な勉強が必要な英語とは難しいものなのだ、そう思ってしまう。そういう人から見て、日本語を話せない外国人がどう見えるかというと、「なぜこんなに簡単な日本語を話せない?」となりうる。

さて、じゃあ「日本語」と「英語」が「言語A」と「言語B」に過ぎず、どちらを母言語としていても他言語を学ぶのは難しい、ということにどうやったら気付けるのか。これが「文法」じゃないかと思う。つまり、日本語でも英語でも文法の授業では動詞があって名詞があって、こう繋がっていたら目的語…みたいなことを習うわけだから。

こう考えると、「英文法を習ったって英語を話せるようにならないじゃないか!」という言には賛成しかねる。コンビニで外国人店員にキレない、それだけで結構成功してるんじゃないかと思う。

まあ、言語に限らず多分学問全般がそうだよな、学問が難しいことを知るには学問を修めなければならないわけだから…


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