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タンザニアでの出産のキロク         〜まさかの帝王切開〜 

  • 自己紹介

  • なぜリスクのあるタンザニアで出産?

  • 帝王切開の宣告をうける

  • 出産

  • タンザニアの病院事情 他

●自己紹介
2021年8月5日。

タンザニアの最大都市ダルエスサラームで、ドローカルでもないけど、それほど大きくもない病院で、第三子を出産(帝王切開)した41歳ママ、イズミです。

8ヶ月なのに大きいお腹。。。

東アフリカを代表するポップアート、ティンガティンガアートのオフィシャルショップNjOOAfrica(ジョーアフリカ)の代表です。

長女6歳、次女4歳、生まれたてのBABY、タンザニア駐在の日本人の夫と現在5人暮らし。


2011年 タンザニアを訪れる
    結婚
2012年 African Hands 創業
2015年 長女出産(日本)
2017年 次女出産(日本)
2018年 離婚
                 現夫にタンザニアで出逢う
2020年 現夫、コロナで日本に一時帰国
                 再婚
                 African Hands 廃業
2021年 NjOO Africa 創業
                タンザニアに移住
                三女出産(タンザニア)


●なぜリスクのあるタンザニアで出産?

現夫が、次女と初めて会った時、「あーあー」とか、「きゃっきゃ」とか言えるくらいの頃でした。
それでも、もちろんもうヨチヨチ歩いていたし、意思疎通はでき、イヤイヤ期がはじめろうとしていて、大変な時期でもあったけれど、一番可愛い時期、でももう立派な小さな少女でした。

2020年、コロナで一時帰国、三重県での生活がスタート。

子供にはその時その時の可愛さがあって、日に日に成長していくので、その可愛さは日々変化していきます。

今、6歳と4歳になったばかりの二人の娘を、本当の自分の子のように可愛がり、叱り、向き合ってくれている現夫に生まれたばかりの、あの甘い香りや、柔らかさ、あの愛おしさも感じて欲しいなと思っていました。

できるならその時期を夫婦として一緒に育て過ごしたいとも思ってました。

39歳で再婚した私は高齢で、夫との間に子供ができるかどうかもわからなかったけど、幸い、再婚し、たった4ヶ月で妊娠。

それは夫の駐在先タンザニアに、家族で渡る予定の2ヶ月前のことでした。

予防接種や、子供達の学校の手続き、習い事や、住居や車のこと、渡航に向けての整理・準備を進めていた私は早速始まったツワリの中、決断する必要がありました。

このまま行かないこともできるし、まだこの先、お腹の中に9ヶ月近くいるから出産時一時帰国してくることもできる。

ここ十数年、タンザニアで出産した日本人駐在妻の情報はなかったし、タンザニアの医療に長く関わる知人は、経験からタンザニアでの出産を強く反対しました(してくれました)。

しかし、予定日は9月初旬。タンザニアで長女は小学1年生にあがる頃、そんな時期に日本とタンザニアを行ったり来たりさせたくないな、かといって、娘たち置いて自分だけ一時帰国するのも心許ない。

様々な思いが交差したし、両親はとっても心配していたけど、二度の出産経験があったから、三度目もスルーと自然分娩できると思っていたこともあって検診で大きな問題がない限り、タンザニアで出産しよう!そう決めました。

●まさかの帝王切開に

ドクター「臍の緒が、首に二重に絡まっています。状態によっては、赤ちゃんに栄養がいかなくなる可能性があります。明日、帝王切開しましょう」

水通し完了翌日だった。ギリギリセーフ。

私「臍の緒はまだ外れる可能性もありますよね。自然分娩がしたいです、もう少し様子見れませんか?」

ドクター「最悪、窒息死の可能性もある状態です。赤ちゃんの命の保障はできません」

ただの定期検診に行っただけのつもりが、まさかの展開。

それは、35週4日目のこと。正期産といわれる36週に満たない。
願わくば40週までお腹の中にいて欲しい。

想定体重2,400g。低体重児。
日本なら、保育器に入る状態。ここにはそれはない。

絶対安静と言われてから、夫は家族の朝晩の食事、子供達の弁当作り、
仕事しながらも、十分すぎるほどにケアをしてくれました。

お手伝いさせてもらえて嬉しい2人。夕食作り中。

ただ寝て過ごした1ヶ月。あともう少しやのに!という気持ち。

まだまだ十分にお腹の中で育っていない、もっとお腹の中にいて欲しい。と言う思い。

でも、窒息死するかもしれないと言われると、「うん」と言うしかない。

ぜんぜん、覚悟のないままに、予定日よりひと月早い出産となりました。


しかも、明日。。。。泣


ドクター「下半身麻酔です。」

私「夫の立ち会いはできますか?話してたら気が紛れるから」

ドクター「麻酔医に確認するけど、多分、立ち会いできるよ」

私「絶対立ち会いできるように、頼んでください泣」
(ぜったい話し相手欲しい笑)

*************************

その頃、お腹が大きくなってからも、仕事で布買いに行ったり、重いもの持ったりもしてたし、お腹が張っても長時間、パソコンに向かって徹夜仕事をしていました。日本時間に合わせ、稼働していたので、夜中に仕事し、家族を朝送り出すと少し眠る。お腹が張っても、確実に無理を繰り返していました。

上の2人の出産の時も、もちろんハードワークを、しかも現場で臨月までやっていて、もっともっと体力的には大変だったので、今回はあの時に比べたら「大丈夫」という自信がありました。

それは一から立ち上げ直した会社がはじめて迎える繁忙期、休んでる暇はなかった時期でした。

京都伊勢丹での催事が始まり、週末はティンガティンガアーティストによるライブアートが告知してあり、その準備は順調に進んでいました。

これならいつ出産になっても大丈夫。その矢先、

スタッフ「泉さん、アーティストがコロナが怖いとタンザニアに逃げ帰っちゃいました。」

私「嘘やろ」

てぃらり〜。

それから間も無く、切迫早産を言い渡され、
「絶対安静、トイレ以外が動かないで」と。

え?そんなこと40年間したことない笑

急な帝王切開を言い渡される2週間前に、切迫早産で入院していた私は知りたくもなかった医療レベルの低さを知ってしまっていました。

撃沈。

こ、怖い。。。。

点滴ですら、あのレベル。。。

麻酔を想像したら卒倒しそう。。。。

タンザニアで何かあると、ケニアや南アフリカに緊急搬送されるとよく聞く。緊急搬送ていうても何時間もかかる。大丈夫かな。。。

てか、その以前のことで不安になるレベル。

日本なら、点滴の液体が入っている部分に刺す針を入れ替えますねよ?

なので点滴交換はなんの痛みもない。

しかし、こっちは手に刺した針の横で管を入れ替えるから、


毎度毎度、針が動いて、激痛な上に血だらけ。。。

注射、点滴一つにも、命を削られる思い。めちゃくちゃ痛い。

点、点、点、が点滴やのに、点じゃない、水道のように体に注入される痛みは悶絶。

麻酔もその調子でせんといて〜〜〜〜〜死ぬやん、絶対!
素人やのに麻酔量の心配。

一時入院をしてなかったら、怖さも知らずに済んだけど、知ってしまっていた悲劇。


う〜、怖い。笑


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●出産

押し寄せる不安をよそに、帝王切開のため入院。

夜中2時に30分涙が止まらないほど痛い注射をお尻に打たれる。

「明日朝5時に来るからね〜ゆっくり寝てね〜」と去るナース。

って、あと2時間半しかないやん!寝れませんよ、むちゃくちゃ痛いんですけど。。。。。


ぐったり。。。


予告通り。5時にやってきたナース。
剃毛のため、カッター所持。w

毛を激しく持ち上げ、稲刈り風に刈ってくれるはいいが、切れない系カッターなので痛い。むしりとるかんじ。

むっちゃ痛い。。泣。

ツルツルに剃ってくれるかと思いきや、どっちかというと田んぼ。
それは田舎の初夏の光景。

え?ええの?それでええの?それで終わりなん?
痛いの我慢するから、ちゃんと剃ってよ〜


からの尿管カテーテル。

これも人生初。かなりの抵抗がある。もうこの時点で100歳な気分。

老化の速度は浦島太郎。

苦痛のまま、6時。


ドクター「帝王切開は8時からです。それまでに色々準備にナースが来るからね、頑張って〜」

て、昨夜言うてたな。

ハァ〜あと2時間かぁ。


しかし、ドクター登場10時。(ここでもアフリカンタイムかよ!笑)


ドクター「グッッッッモーーニン! イズモ!!!!」


スーパーハッピーオーラ全開で、遅刻関係ないし、時間とかいう概念では生きてません!という感じ。

さすがです!!!

ちなみに私の名前は「イズミ」です。


麻酔医「下半身麻酔と全身麻酔どっちかいい?」

え?昨日下半身麻酔言うてたやん?

全身麻酔できるなら、最初から言うて!そーして!そーして!と心の声。


私「全身麻酔でお願いします」

夫(ググる)「全身麻酔は呼吸も止めて人工呼吸に切り替えるから、停電なったら死ぬよ。ジェネレーターにすぐ切り替わるかわからんし、あかん。」

私「下半身麻酔でお願いします」


停電ない日なんてないタンザニア!

下半身麻酔の同意書に2人でサイン。


ここまではめちゃくちゃスローやったのに、ドクター登場してからの展開が早すぎた。

タンカーで手術室へ。早い早い早い!!!!!!!え〜〜〜〜〜〜!

いきなり、めっちゃ手際ええやん!
見たことないくらいテキパキ動く。


私「夫の立ち会いできますよね?」
→爆速で動くタンカーの上での質問。笑

麻酔医「だめです。」

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

なんで〜泣。

一瞬で夫と切り離され、ザ・手術室に到着。

この時、夫はナースに「一階でチャイでも飲んできて!飲み終わった頃、終わるから」と言われたそうな。

ピカピカのライトと、さっきの剃毛の時のカッターと同じようなメスが並んでる笑

え?絶対切れやんやつやん!

それでお腹切るの??????!!!!!!


や〜〜〜〜め〜〜〜〜〜〜て〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


私「先生、お願い!夫を中に入れて!怖いよ〜お願い話し相手が欲しいだけやから!頼む!!おねがいします!」

ナースに言われた通り、夫がチャイ飲みに行ったとは知らず、絶対、手術室の扉の向こうで、祈るように待っていてくれると信じて懇願。笑
おらんのかい!笑

いつも、ポレポレ文化なのに、一瞬で手術開始モード。


私「頼む〜そんなカッターで切らないで〜」
世の中で言うパニック状態。


麻酔医「これは、全身麻酔にしたほうがええな」

ボソッ、と言う。


私「え?今なん(て言った?)・・・・」




ペンキで視界を塗られたようでした。。。。

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私「うっ。」苦しい。死ぬ。
「ぷっ、はぁ〜〜〜〜〜」   息できた。

この姿で1人で転がってたらしい。やっと現れたナースに「ベビーオイル持ってきた?体拭くのにいるんやけど」と言われたらしい笑 そんなもんは用意しといてくれよ!と思ったらしい。笑


朦朧とする中、横に想像よりはるかに小さい赤ちゃんがいる。

めちゃ小さい。手と比べてみた笑

ええええええええ?

なになになに?終わった?笑

1人目にはなかった後陣痛も始まっていて、傷の痛みと併せて悶絶極まりない。

1人目<2人目<3人目とひどくなる後陣痛。
子宮が回復する際に起きる陣痛を超える痛み。

なんかわからんけど、終わったということはわかった。


はい!
ドクター私や家族の同意なく全身麻酔したね〜
夫もその時も知らず、私はただ寝てるだけと思っていました。


麻酔も切れて、意識すら正常でない中、

麻酔で眠っている間に始まる初乳。

ナース1「さ!歩いて!」
ナース2「トイレも自分で行って!尿管カテーテル外すからね〜」
ドクター「病棟の1階から3階を3往復昇降して!」


全部無理です。痛いので。。。。笑


あんなに抵抗のあった尿管カテーテル。そばにいて!と心から思った。
トイレに行こうもベットから起き上がれない。


ナース3「ほんまに、3人目なん?母乳あげるの下手やな!はい!旦那さん!これで乳首を引っ張って、吸い上げて」

と注射器の針なしタイプを手渡す。

夫は言われるがまま、私の乳首を注射器で引っ張る

「痛タタタタタタタタタタタタ〜〜〜〜」

長女、次女「パパ、ママ〜がんばれ〜」

て、何この光景!笑


ナース4「いつまで痛がってるん?階段登り下りしてきて、シャワーも浴びて」

痛くなかったら動きたいよ、私だって。
でも、今日お腹切ったばかりやのに流石に無理よ〜。


あまりにスパルタなのでさすがに温厚な夫がキレた

「こんなに痛がってるので動けるわけないやろ」

さーーーーーといなくなるスタッフ。


術後、癒着が懸念される帝王切開。

大腸が機能するようにと、動くことを促したり、腸を活性化するために「パパイヤ」食べて!と山盛り持ってきてくれたりと頭でわかってるし、感謝してるんやけど、体がついていかなかった。

足に打ってくれる痛み止めは直ぐ効いた。
それがないと、動けなかった。
でも、そのあと1ヶ月、膝が曲がらなくなった。
注射が原因の神経障害でした。

退院後、もらった痛み止めも、飲むと10分で効く。
授乳してるのに飲んでいいのかな?という不安。聞いても大丈夫だという。真実は不明。

2,300gで生まれた三女はとってもとっても小さかった。
日本なら保育器、NICEに入っている。

帝王切開の場合、日本ならお母さんは10日間の入院。
赤ちゃんはそれ以上。

でも4日で私と一緒に退院。

黄疸も出ていたから、日本なら光線療法を受けるはず、でも
ドクター「朝7時と夕方4時の太陽の光を浴びさせてね。あとは母乳を飲ませてれば大丈夫」という。

日本が、十分すぎるケアなのはわかっていました。

そこまでを求めてたわけでもなかった。はずだった。

タンザニアのドローカルの不十分な施設で産んだわけでもない。

でも、やっぱり怖かったし、不安やったし、いっぱい泣いた。

日本でも、何があるかわからない出産をタンザニアで経験。


小さい文化の違いを大きく感じました。

退院する頃には、私は120歳な気持ちでした。


●まさかの障害が夫

なんだかんだ最終一番きつかったのは、夫が関西人やったてこと。
傷口が痛い2週間。
クスッ!とも笑えないのに、めっちゃ笑わせてくる!
「いーちゃんの飲んでる薬って座薬なんちゃう?と疑ってるんやけど」と
言われた時は、もう子宮が破れたと思いました。

「え?私、座薬を飲んでたん?」

飲み込めないほど大きい。2cmくらいある。


●お腹の傷

切れないカッターみたいなメスで切られたお腹。
想像通り、ジグザクな跡。
10cm切るだけと説明だったのに、20cmは超えてる。
テープ長さ、足りやんオチ。
はじめてガーゼを取って見たときはショックすぎました。

日本の友人に教えてもらった「atokaraファイン」という傷が消えるテープ。

ほんまに綺麗に傷は無くなった。

これを日本から送ってもらった。
見事に傷はわからんレベルに。
ただ、1週間に一回取り替えるというテープなので、そのようにしてたら、かゆい!掻く。
お腹の傷は消えたけど、テープのあとが残ったお腹w
四角い勲章が残りました。笑

そんなことはよそにBabyを囲む3人。

夫「めちゃくちゃ幸せな気分になんねんけど。。。」(←デレデレ)

長女「髪型が可愛い!この髪型にしたい」(←いうほど毛ない)

次女「歌ってあげるね」(←唯一知ってる日本の曲、桃太郎)

小さい小さい天使は、大きな幸せを運んできてくれました。
長女も次女も夫も、とってもとっても嬉しそうです。


あ〜、赤ちゃんも私も生きてる。


よかった。


なんとか、かんとか、5人家族の生活スタートです。


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ここからはタンザニアでの出産に特化したお産の情報です。

●お問い合わせ
2,300gで生まれた三女は、今6ヶ月になり9,000g近くあって、平均より大きく育ってくれています。なんとかなったバージョンの話だと思っています。

最近、お問い合わせいただく、アフリカでの出産の相談。
アフリカといえど、国によっても違います。
隣国ケニアとタンザニアでも大きく違います。

個人によっても違います。

私が結局なんともなかったからと言って、簡単に「大丈夫ですよ」と言えないんですよ。

責任持てない、大事な命なので。

私は、こんな経験をしました!

私の出産は、こんな感じでした!というだけです。

それでも、ここで産もうとしてる妊婦さんに向けてと、自分自身の記録として、書きました。

タンザニアは出生国主義なので、三女はタンザニア国籍をいただきました。

予防接種などが無料なので、それを知った時、それについては、ここで産んだメリットを大きく感じました笑

夫は、4人目がいてもいいといいます。
でも、もし4人目ができたら、私は日本で産むと思います、

これが私の個人的な意見です。


●病院の選択
私が出産したのは、ダルエスサラームのマサキ半島、ヨットクラブ近くの
Sali international Hospital。インド系、総合病院。

ダル内でいうと、知名度の低めの病院。
他には、アガカーンやサイフィーなど有名どころは沢山あったけど、まだまだコロナが猛威を震っていました。

大きな病院にはコロナ患者が大勢押し寄せている、そんなことを耳にしました。

穴場でそこそこ大きい病院。
それがサリインターナショナルホスピタルでした。
全体的に古めです。


●検診費用

(日本の場合)私が経験した二度の産婦人科では、検診は市の補助で無料。

(サリの場合)検診パック6回 ウルトラサウンズ、血液検査、尿検査 8万円ほど
※4Dのウルトラサウンズがあると聞いてテンション上がるも、壊れれいると一回もしてもらえなかった笑

●出産費用
(サリの場合)自然分娩 10万円 日帰り
       帝王切開 33万円 3泊
※延泊すると一泊2万5千円。(た、高い)
※夫が海外駐在で、自分が海外で出産しても会社が健保に加入している場合、日本で出産した時と同様、42万円もらえる

●検診の様子

ウルトラサウンズの前に絶対飲まされる3リットルの水。

膀胱が膨れると子宮が上に上がり、エコーで赤ちゃんがよく見えると言う理由。

よって、めちゃくちゃトイレしたい状態でされるエコー(めっちゃpushされる)は、もうおもらし寸前で、エコー終わった瞬間にトイレに走る他の妊婦さん達、コントか!と思うほどの光景で面白すぎて、エコー前に漏れそう笑

めっちゃ非効率やったシステムは、エコーの前に尿検査させられるから、膀胱にノー尿からの次のマックス尿意を求めらること。

一回目、尿検査したあとに、膀胱がぱんぱんになって、尿意がマックスになった人からエコーします。

と言われ、「ハァ〜〜〜?」となった。だって、ただでさえ気持ち悪いのに3リットルの水飲むだけで1時間はかかりました。

そっから、尿意きてからの、エコー順番まち、それだけで3時間コース!

次回から、朝からトイレを我慢し、尿検査を勝手に後回しにしたのは言うまでもありません。笑


●今までの出産経験

長女のとき、35歳。自然分娩超絶難産。39週、子供は子宮口近くにいるのに、子宮口がなかなか開かず、力みのがしに4時間。きばれない辛さ、何度も足を閉じさせてもらうほど、体力を奪われていきました。子宮口が開く10cmを待たずして出産。2930g。縫うだけで1時間かかるほどにボロボロ。1週間入院して、退院後も半年間、語りきれないほど、ずっと不調でした。

次女の時、37歳。自然分娩超絶安産。39週。これが出産か!と思いました。子宮口が順調に開き、すぐ出た。3054g。長女の時のような覚悟があったので「え?」となりました。産後2日目で、もう家に帰りたいほどに元気。

こ、こんなに出産によって違うの?


●マイナートラブル

ホルモンバランスが崩れるので、いろんなところが不調になる。

乳首がやたらと痒い → ココナッツオイルを塗って
便秘になる → ココナッツウォーターを飲め、パパイヤ食べて
貧血 → アボガド、ほうれん草を食べて

日本のように、妊婦でも飲める薬とかサプリメントでなく、食事療法で全て解決するのが当たり前。即効性はないけど、なんだか健康になった気分。知らんけど笑

●子育て

「出産」は個人的におすすめしないけど、
「育てる」に関しては、楽園です。

学費は日本でインターに通ってたより2.5倍するので親は地獄ですが笑

でも子供達にとってマイナスは一つもないと思っています。

世界中に友達ができて、その友達と多言語で話せる能力をすでに身につけています。

言語は、ツールにすぎませんが、多文化に触れ、思考を深くできる、こんな小さくしてそんな環境にいられること、とても羨ましく思います。

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子育てしていると、毎日が一瞬にすぎていきます。
正直、次女の時のことは写真を見ないと思い出せないほどです笑

せっかく、異国の地で無事出産させてもらったし、
文章で残すことにしました。

41歳の私からしたら、始まったばかりの子供達の人生、
楽しく、心豊かに過ごして行ってくれたらいいなと思っています。

読んでくださった方々、ありがとうございました。

こんなに大きくなりました💓



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