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年の瀬に思うこと


個人的に2022年は、まさに「激動の一年」だった。
2月のスロバキア移籍に始まり、4ヶ所の大怪我とサッカー引退、8年ぶりのドイツと1ヶ月半に渡る入院と2度の手術など、2022年の元旦の自分に「お前、今年はこんな事が起こるんだぞ」と教えても、きっと「馬鹿じゃねぇの?」と一蹴して信じないほど想像もつかない出来事が起こりまくった一年だったのだ。

ある意味人生で最も濃い時間となった年かもしれない。
沢山泣いたし死にたくもなったし、未だかつてないほどの絶望を感じた一年だったけれど、だけど年の瀬を迎えた時に振り返ると、不思議なことに自分は「そこまで悪い一年ではなかったではないか」と思っていた。


人と人との繋がりの大切さ


絶望の一年だった2022年だが、同時にこれまで培ってきた人と人との繋がりに助けられ、そして人との縁の有り難さを痛感した一年でもあった。

「もっと色んな人と繋がった方がいいよ」

いつだろうか、ある知人にそんな事を言われたことがある。
その知人はSNSを毎日のように頻繁に更新しては、よくセミナーや様々な界隈の人と交流を深めるイベントに足を運んで交友関係を増やし、「1人でも多くの人と繋がること」を大切だと考える人間だった。
常日頃から積極的に人脈を増やすことに性を出しているその知人からしたら、フリーランスで幾つかのビジネスをしているくせにSNSの更新もテキトーで、自ら出会いの場に足を運ぼうとしない自分の考えが理解できなかったのだろう。

ビジネスをする上で、人脈や交友関係は非常に大きなアドバンテージになる。
それがフリーランスとなれば、尚更だ。

だけど自分はわざわざ積極的に行動して人脈を増やすのが正しいとは思えなかった。
ただ単純に面倒臭いってのもあるのだけれども、昔から人との縁というモノは、自分から無理やり探しに行かなくても、自分がやるべき事をちゃんとやっていれば自然とその場その場で必要な人間と繋がっていけるモノだと考えていたからだ。

そして、偶然にも人生最大の困難に直面した2022年は、自分が繋がってきた人たちに幾度となく助けらた年となった。

夏に初めてサポートした選手を、8年前に自分がお世話になったコーチが監督をしているチームに連れて行った時。
サッカーを辞める決断を下した自分を、かつて在籍したポーランドのクラブが引き留めた時。
そして両足計4ヶ所、1ヶ月半の入院で2度も手術を受けた自分に、多くの世界中の友人たちからの励ましの連絡が届いた時。

苦しくて辛かった一年だったからこそ、これまでに繋がってきた人たちの温かさをより一層感じ、そしてその優しさに自分は何度も何度も助けられてきた。
だが、そういった人たちと自分は、意図して繋がったわけではない。
ただ自分が海外でサッカー選手として上を目指してやってきた時間の中で偶然知り合って繋がった縁であって、自ら縁を作ろうとして繋がった人たちではないのだ。
それはきっとサッカーをしていなかったら知り合うことのなかった人たちで、だけどサッカーをしていたことによって繋がることができた縁だと、自分は考えている。

「選手の実力は、サッカーの力と人間力」

かつて自分にサッカーを教えてくれた恩師の言葉である。
サッカーだけではなく、人間性も常に磨き続けなさい。そうすればきっと困難な時に周囲の人間が支えてくれるから。
そんな意味を含んだ恩師の言葉を自分は日頃から頭の片隅に入れ、いついかなる時も忘れないようにサッカーの世界で生きてきたつもりだった。
自分が優れた人間性の持ち主だとは思ったことはないが、運が良いことにサッカー選手としては未熟な割に不思議と何処の国に行ってもクラブや人との巡り合わせには恵まれ、その運と沢山の人の支えに自分は幾度となく助けられてきた。
もちろん嫌な奴やどうしようもない人間との出会いもあったけれど、基本的に何処に行っても熱心に自分を助けてくれる人たちがいて、幸せなことにそういった人たちの優しさに囲まれながら自分は今日までサッカーをやってこれたのだと。
自分の実力は3割、残りの7割は運と人の巡り合わせで補っているくらいに。
そんな自覚があったが、2022年を振り返ると自分は思っていた以上に周囲の人間に恵まれ、そして支えていたことに気付かされたのだ。

もし8年前にドイツでゲレスハイムというクラブに所属し、あのギリシャ人のコーチと出会わなければ、夏にサポートした選手はここまで試合に出れるクラブと出会えてなかったかもしれない。
もし3年前にポーランドではなく、リトアニア2部やデンマーク5部に行く道を選んでいたら、大怪我をした自分はもう一度サッカーをしようと思わなかったかもしれない。

きっとこれまでの一つ一つの出会いと別れに意味があって、そして本当に自分にとって縁がある人間とは、どれほどの月日が開き、時代が流れようとも、巡り巡って何かの拍子にもう一度繋がるようにできているのだろう。
そして冒頭で書いたように、きっと自分にとって大事な人間との出会いは、自分がやるべき事をやっていれば必ず適切なタイミングで巡ってくる。
SNSを頻繁に更新し、一生懸命ハッシュタグを付けて人の気を引こうとし、意図的に出会いを探しに行かなくても、だ。

近年はSNSの普及により、いとも簡単にネット越しで沢山の人と出会うことができる時代になった。
結婚するカップルの出会いのキッカケ1位がマッチングアプリになっている時点で、もう今後は出会い方もネット上が主流になるのは避けられないのだろう。
それが悪いとは言わないし、出会いや人脈を求めて積極的にセミナーやイベントに足を運ぶ事を否定するつもりもない。
行動しなければ出会いはない。それはご尤もだ。
だけど、人間一人が維持できる他者との関係性には当然限度があって、良くも悪くも繋がりが増えれば増えすぎるほど、一人一人との交友関係が広く浅くなってしまうのではないかと自分は危惧している。
沢山の人と繋がるのもいいだろう。
だけど自分は自然に巡ってきた人との縁を狭く深く大事にしていきたい。
キャパが限られている以上、人間はあまりに多すぎる情報を得てしまうと、どうしても大事なモノを見落としてしまうのだから。

2022年は、そんな事を考えさせられる一年でもあった。
沢山辛いこともしんどいこともあったけれど、その事に気が付けたのなら2022年はそこまで悪い一年ではなかったのかもしれないと思っている。

絶望の一年と書き記したが、大怪我をしたことにより新たに繋がった縁も沢山ある。
そういった人たちと今後どうなるのか、そしてまた新たに巡ってくるであろう新たな出会いに期待を抱きながら、2023年も自分らしく頑張っていきたい。

今年も一年、よろしくお願い致します。


追記:諸事情によりドイツ行きが少し遅れました。

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