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ある言葉と雨宮まみさんのこと

こんな長さならツイッターで呟けばいいのにと思いながら記す。

ある女性のnote記事の定期購読を、いっときやめてみている。他者に対して使う言葉や考え方が、とても冷静な人なのに、その人は自分自身に対しては雑な言葉を使う。今すぐ人に見せられる細い腕の持ち主で、人にさらけ出せる標準値内の体重を書き記しながら、「デブった」なんて言葉をとても簡単に使う。多分、人にそう言われて傷ついた経験が、実際にはあんまりないんだろう。

私は自分にそういう言葉を使わない。例え誰かが私にそれを投げても、自分自身を決して貶めないと決めている。それは私にとっては重い言葉だし、誰かがその人自身に対して気軽にそういった言葉を使うところもなるべくなら見たくない。

2016年に亡くなった雨宮まみさんを思いだす。自虐を笑い話として面白おかしく書いていた時期を経て、近年は他者だけでなく自分自身のことも大切に表現した文章を沢山読ませてもらった。雨宮さんならどう言うだろう、どう書くだろうと、何かあるごとに思うけど、新しい文章はもう読めない。そのことが寂しい。だけど、寂しがってばかりじゃいけないから、自分を大切に思いやりながら、自分の人生を進んでいく。