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プライバシー問題

 年を取って、日々の生活を他人に依存しなければならなくなった時、我々のプライバシーはどうなるのか。どこまで守られるのか。自立できない人間のプライバシーなど無視されて当然なのか。
 施設の人と電話で話していて、気になることがありました。
 最もプライベートな個人の領域に属するものは「排泄行為」と「心」だと思っています。でも排泄に関しては病気で入院して医療行為をうけるとき、問題なく無視されますし、我々もそれを当然のこととして受け入れます。入院病棟のトイレはカーテンだけでドアがない場合もありました。
 まわりくどい書き方はやめます。仕方のないことだと思いつつも衝撃を受けてしまったのは、施設からの電話報告でした。
「お母さんはトイレットペーパーをきっちりミシン目のところで切り取るんです。それをていねいにたたんで使うんですよ」
感嘆をまじえて報告されました。ふつうはもっと雑に、切れ目など無視してテキトーに切り取る。母のようにていねいに折りたたんだりしない。母の几帳面さをほめるつもりで教えてくれたのだと思います。
 でも私には衝撃でした。施設内ではトイレの様子が監視されている。おそらく夜間のことだと思います。個室内の様子が映し出され、別室でそれを見ている人がいる。
 落ち着いて考えれば、安全のために必要なのだと分かります。倒れたりしてもすぐに駆けつけて対処できる。監視はそのための配慮なのだと分かっています。
 分かっているにもかかわらず、胸が冷たくなりました。常に他人の目がある施設にいて、トイレだけは素の自分でいられる場所。みっともない自分をさらけだせる場所。そこにも実は、他人の目がある。
 年を取るということはそういうことだ。すべてが他人の目にさらされてしまう。もっとも個人的な排泄の場面すら、他人の目にさらされる。老人はそれを受け入れるしかすべがない。
 年はとりたくない。長生きはしたくない。そうなる前に死にたい。病気になっても治療しないで放置した方がいいかもしれない。しみじみと思ったのでありました。

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