プラスの変化
施設での最初の一夜があけました。目を開けていたこともあったけれど、眠っている時もあり、まずまず眠れたようでした。
朝、私がいつもしていたようにスタッフさんが熱々の蒸しタオルを作って持って行ったら「そんなことせんでも顔くらい自分で洗えるのに」そう言ってちゃんと洗面所に行き、ちゃんと自分で洗顔したらしい。他人にはちゃんとしたところを見せたかったのでしょうか。
それを聞いて、私はほんとうに驚きました。信じられませんでした。母が自分で顔を洗いに行くなど、想像もできなかったからです。
母の日常はトイレに行くだけで精いっぱい。他のことなどする余裕がないと思っていました。母自身がそう思いこんでいた気がします。できない。無理。何もかもがダメになった。希望は皆無。あとはもう死ぬのを待つだけ。そんな状況でした。暗くなるしかなかったのです。
転倒して弱って以来、家では一度も自分で洗顔したことがありません。洗面台まで移動するのも困難。洗面台の前にたって上体をかがめるのも困難。母にはそんな体力がない。気持ちのゆとりもない。自分で洗顔できるなんて、夢にも思っていませんでした。
これが転機になったような印象です。食事もちゃんと完食。日中の体操その他にも積極的に参加。ビデオを見ながらの体操は遅れずにちゃんと出来ているんだそうで、私や母にしてみれば当たり前のことですが、それは特別の素晴らしいことなんだと、ほめられました。
着替えも着るものを渡しさえすれば、手伝いなしで自分でさっさとできるそうです。家での着替えはすべて私まかせでした。母はお人形。あるいは3歳くらいの幼児。次に何をすればいいのかも分からず、私にされるがままでした。
片腕ずつ袖を通させて、頭からかぶらせる。膝まづいてズボンをはかせる。靴下も、すべて私がはかせていました。それが施設だと自分ひとりで問題なくできてしまう。
施設という他人の目の中に置かれて、母は別人になったのでした。他人の目がこれほどの刺激になる。プラスの刺激として作用する。
自宅ではほぼ廃人になりかけていた母の、実に嬉しい変身でした。
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