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介護の幻想

 衰えた母と優しく向き合い、至れり尽くせりの世話をする。愛にあふれた暖かい関係。介護にたいして漠然とそんなイメージを思い描いていました。自分にならそれができる。思いこみでした。完全に幻想でした。
 周知のことではありますが、介護の苦労の最たるものは、精神的なストレスです。さまざまに心が屈折します。優しくしたいと思っても、優しくできなくなる。心が狭くなって、硬くなる。こわばった狭い心から抜け出せなくなる。
 母はずいぶん前から家にいる時の身なりに構わなくなっていました。かつては週に三回、午前中だけのデイトレに通っていたので、出かける時はしゃれた帽子をかぶったり、ちゃんとしたおしゃれな服装になります。見違えるほど変身するのでした。
 でも、それ以外の自宅ですごす日は、ホームレスのような身なりで平気。洗濯が大好きで私たちが着ているものまで脱がせて洗う人だったのに、自分は同じ服を着続けるようになっていました。
 洗濯するから着替えてとうながすと、素直に従ってくれることもありましたが「寒いけん、着替えやできん。これでええ。明日にする」と拒否されます。そして明日もまた同じものを着てしまう。
 母は衣装持ちです。こんなにたくさんどうするのと言いたくなるくらい箪笥にも押し入れにも母の服があふれています。
 かつての母はさまざまな服が必要な世界に属していた。そしてそこから離脱した。だから、それらはしまい込まれたまま死蔵されています。あることすら忘れているのかもしれません。
 それらを着てみようという意欲は消えてしまい、今や何を着ようかと考えることすら面倒になってしまったようでした。他人の目にうつる自分を意識する必要がなくなり、客観的な目で自分を眺める必要がなくなってしまったのだと思います。転倒してほぼ寝たきり状態になった頃の母はそんな状態でした。自分だけの狭い世界に閉じこもっていたのです。
 私が向き合って世話をするのは、そういう母でした。テレビにも興味を失い、新聞も広げてはいるものの読んでいるのかどうかは不明。
 外の世界に興味をなくした母の関心はもっぱら自分の内側。自分の心。心の苦痛。それしか興味がないのです。
 必然的に介護をする私も、苦痛に満ちた母の心と向きあわざるをえない。それが厄介なのでした。私の力では、事態を改善することができません。私は私で自分の無力とむきあわなくてはなりません。
 介護そのものは、なんとかなります。毎日の手順も決まってきて、ポータブル便器に排泄したおしっこの処理とか、毎朝蒸しタオルを作って母に自分で顔や手をふいてもらうとか、いろいろ慣れてきました。
 慣れないのが、母の愚痴です。いや、愚痴というより嘆きです。この嘆きによる精神的なダメージが想像以上に大きかった。嘆きたくなる母の心情も分からないではないのですが、受け止めきれないのです。
 「情けない、情けない」「もう死にたい」「痛い、痛い、痛い・・・」起きている間は、ひっきりなしに言い続ける。嘆き続けているのです。
 とにかく暗い。顔つきが暗い。身体から発散される空気も暗い。めちゃめちゃ暗い。ドロドロに、真っ暗。本人は口に出すことでガス抜きしているのかもしれませんが、世話をしている私はこれに引きずられる。心が硬くなるというか、心がこわばる。
 嘆きは、独特の黒いオーラを出します。ひっきりなしに繰りかえされる嘆きは泥沼みたいです。泥沼からやせ衰えた腕がのびてきて、私の足をつかんで沼に引きずり込もうとする。心を閉じて防衛するしかありません。
 心を閉じるだけでは足りなくて、バリアをはって自分の心を守るしかない。自分でも冷たいと思いましたが、母を衰えた存在だとみなして対象化し、距離をおいて、自分の心と切り離すしかありませんでした。
 同じような世話でも、小さい子供ならこちらも心を全開にして明るいオーラを受けられます。いのちって、始まりの時は力強くて美しく、終わりの時は正反対になるのでしょうか。
 介護には子育てのような希望がない。だからこそ「今」という小さな単位だけを見て、そこに小さな喜びを見つけ出し、ささやかな希望めいたものを積み重ねるしかない。小さな満足感と肯定感を積み重ねるしかない。
 死は荘厳で、美しいものだと思っていました。完全に幻想でした。


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