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心が見えなくなる

 心は自分だけの最も内密なもの。他人には覗かれたくない。心だけは絶対に覗かれたくない。そう思っていましたが、隠しているようでいて、実は隠しきれずに見えてしまうものなんですね。
 友人知人の誰彼と会った時、その人がどういう心の状態なのか、機嫌がいいのか悪いのか、即座に判断できてしまいます。初対面でもその人が自分とあうかあわないか、最初の一目でわかってしまう。見えないはずの心が、見えてしまうんだと思います。
 見えてしまう心が、外から見えなくなるときがある。尋常ではない危機的状態。私はそれを母で体験しました。
 転倒で衰弱していた一時期、母の心がまったく見えなくなったのでした。心が薄れて消えて、どこかへ行ってしまったみたいでした。心だけが先に天国に行ってしまった感じ。母は生きているというだけ。呼吸をするだけの物体になっていました。
 死ぬというのは老人の場合、まず心が死ぬのかもしれない。心が生きるのをやめるから、体が後追いして死ぬのかもしれない。そう思ったくらい、心が不活性になっていました。
 起きられるようになってからも、母の心は濁ってよどんだ泥沼のようでした。外からは見えにくいのです。無反応で、無表情。すべてに興味をなくした状態。
 孫の話をだしても、ひ孫のことを話題にしても、ダメでした。反応がうすいのです。「忘れた。思いだせん。えろうて、えろうて、息をするだけでもえらいのに、孫のことどころでない。あんたもこの年になったらわかる」そしてテーブルに突っ伏してしまう。
 体調のせいかもしれません。外界をしめだし、大切な存在もしめだし、小さくうずくまって、耳も目も閉じてしまって、残された自分のいのちを守ろうとしている。閉じて、閉じて、これ以上はないくらいに心を閉じる。
 最愛のひ孫の名前も「忘れた」と一言で片づけてしまう。本当に忘れたのかと思いましたが、一時的なことでした。すっかり元気になった今は、どの子のこともしっかりと識別できます。
 老人の場合に限られるのかもしれませんが、いのちの衰えはまず心にあらわれ、心のアンテナをなくしてしまうのかもしれない。死の淵をさまよう人は、心がちいさなのっぺらぼうになってしまうのかもしれない。そんなことも思わせられる体験でした。
 

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