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介護の知恵

 肉親の介護に必要なのは、心の二重構造だと思う。
 他人であれば、どんなに老いさらばえてみっともなくても、トンチンカンなことばかり言う情けない状態でも、老人だからそんなもんだと大らかな気持ちで許せてしまう。
 相手に何も期待していない。期待しないから、どんなであっても、かまわない。冷たい言い方をするなら、どうでもいいから、そのまま受け入れることができる。自分とは関係ない。関係ないから距離をおいて冷静にながめられる。許せてしまう。
 でも自分との関係が深ければ、そうはいかない。どうしても期待をする。はつらつとしていて欲しい。生き生きと、若々しくいてほしい。肉親の場合は見た目の老化さえ、許せない。自分の事のように、恥ずかしく思ってしまう。
 理解力の低下や記憶力の低下にいらだつ。老化のせいだと分かっているのに、反発や抵抗がわく。受け入れることができない。それでも介護が必要になれば、しなければならない。
 他人の介護であれば「汚い」と「疲れた」さえ我慢できれば、なんとかなります。たいていのことはこなせます。でも、肉親の介護となると、そうはいかない。心というやっかいな感情がからんでしまう。
 肉親の介護に必要なのは、心の二重構造を保つこと。仮面をかぶるのは介護の知恵だと思うようになりました。
 私たちは他人と接する時、親しくない相手には決して生の心を見せたりしません。心は閉じたままの防御態勢。表層部分で対応しています。
 お世辞を言う時も同様。心では正反対のことを思っていても、顔は笑って嘘を言います。心がしっかりと二重構造になっているのです。
 私はこれを母の介護に応用しました。心は常に閉じたまま。心には反応させない。表層部分だけで対応する。
 そんなのは嘘の関係。偽りの関係からは何も生まれない。介護がはじまる前は、そう思っていました。実際に介護をしてみると、私にはこれしか方法がありませんでした。
 自分の生の心を出したら、批判的なことを言いたくなります。「もう死にたい」とか「情けない」とかの嘆きにも、いちいち反発したくなります。
 だから心を閉じて、つねに仮面をかぶりました。仮面のおかげで、関係は良好。母は私の介護を喜んでくれました。仮面のおかげで、心のよりそいも生まれたような気がします。

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